「桜井輝夫」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
3行目:
[[1960年]]、[[岸部清]](現在は[[芸能事務所]]「[[第一プログループ|第一プロダクション]]」社長、[[音楽出版社協会]]副会長、音事協名誉理事)に代わって「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」の2代目リーダーに就任し、就任と同時に「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に改称。のちのリーダーとなる[[いかりや長介]]とエース格となる[[加藤茶]]をスカウトする。
[[1964年]]にリーダーの座をいかりやに譲り以降はプロモーター役に回る。そして[[小野ヤスシ]]ら4人が脱退して[[高木ブー]]、[[仲本工事]]、[[荒井注]]の3人が加入するという変遷を経て、いわゆる新生ドリフが軌道に乗るとそのマネジメントを[[渡辺プロダクション]]に譲って身を引いた。
以降の経歴・消息は不明であ
その後のメディアへの露出は[[フジテレビ]]系[[バラエティ番組]]『[[ウチくる!?]]』の[[2001年]][[10月7日]]放送分において、[[加藤茶]]がゲスト出演した際に、加藤の芸能界の恩師として登場したことがあるのが唯一であり、その後の現在までの消息は再び不明となっている。
|