「芥川龍之介」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎著作: lk調整
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
74行目:
[[1927年]](昭和2年)1月、義兄の[[西川豊]](次姉の夫)が[[放火罪|放火]]と[[保険金詐欺]]の嫌疑<ref group="*">西川は弁護士であったが偽証教唆の罪で失権し、刑務所に収監され、出所後に自宅が半焼した際に直前に多額の保険金をかけていたことや家屋の2階押入の二箇所からアルコール瓶が発見されたことから保険金詐欺目的の放火が疑われていた。</ref>をかけられて鉄道[[自殺]]する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「物語の面白さ」を主張する[[谷崎潤一郎]]に対して、「[[文芸的な、余りに文芸的な]]」で「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリーム<!-- 具体的にはどういうこと?-->を予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で芥川は、「話らしい話の無い」純粋な小説の名手として[[志賀直哉]]を称揚した。この頃、芥川の秘書を勤めていた平松麻素子(父は平松福三郎・大本信者)と[[帝国ホテル]]で心中未遂事件を起こしている<ref>[[#神の罠|神の罠]], 39頁</ref>。
 
[[7月24日]]未明、「続西方の人」を書き上げた後、[[斎藤茂吉]]からもらっていた致死量の[[睡眠薬]]を飲んで[[自殺]]した。享年36。服用した薬には異説があり、例えば、[[山崎光夫]]は、芥川の[[主治医]]だった[[下島勲]]の[[日記]]などから[[シアン化カリウム|青酸カリ]]による服毒自殺説を主張している<ref>山崎光夫 『[http://books.google.com/books?id=awwVAAAACAAJ 藪の中の家]』 中公文庫、2008年。(第四章六 - より)</ref>。同日朝、文夫人が「お父さん、良かったですね」と彼に語りかけたという話もある{{要出典|date=2010年6月}}。[[戒名]]は懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都[[豊島区]][[巣鴨]]の[[慈眼寺 (豊島区)|慈眼寺]]。
 
== 作品の特徴 ==