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Kojidoi (会話 | 投稿記録)
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{{節stub}}<!--※全時代的観点および国際的観点による記述推奨。体系的記述も現在未完。-->
 
言語的文化としては、[[漢字文化圏]]では「'''[[wikt:華|華]]'''」と書き[[日本語]]には「華やか」「[[社交界]]の花」「華がある」などは肯定的表現として用いられている。
「きれいな薔薇にはとげがある(Every rose has its thorn.There's no rose without a thorn.)」=美人に裏がある、といった外国の[[慣用句]]も
単純な肯定ではないが、ヒトの感性において美しいと認識する人間を花に例えている。
強い色彩を持つ観賞用の火薬の爆発に「[[花火]]」という字を当てるのは漢字文化圏に共通である(ただし、[[中国語]]では「烟火」が主)。
自然現象によるものとしては、「雪の花」は形状が花に似ていることに由来する名である。[[温泉]]の成分が集まることで発生する「湯の花」や、美しい[[結晶]]を[[バラ|薔薇]]の花に譬えた "desert rose ([[砂漠のバラ|砂漠の薔薇]])" など、「花」を美的な存在の代名詞として扱う向きは日本でも外国でも見られる。
 
花は生物としてのそれ自体を鑑賞する日本の花見や華道、チューリップバブルに見られる花卉園芸といった文化のほかにも絵画等のモチーフとしても評価される。
[[ゴッホ]]の[[ひまわり(絵画)]]などは評価額や知名度において世界的なものであり、少なくともそうした著名な芸術家の創作対象たりうるものと見做されている、とは言える。
 
{{Anchor|花の儚さ|}}[[日本人]]特有の価値観では少し違った意味合いを付けられることもあり、[[もののあはれ]]などといった[[無常]]観や[[四季]]の変化のもとでその[[儚い|儚さ]]が愛でられてきた。それは[[散華#戦死を指す散華|戦死を意味する「散華」]]など[[死]]にも近似するが、生命力と矛盾するわけでもない。短い命であるからこそ、束の間の栄華・華やかさが美しく感じられるということである。これは平家([[伊勢平氏]])の栄華とその後の没落を描いた[[古典文学]]『[[平家物語]]』などにも見てとることができる。「少しずつ咲いていって全体では長い間を咲き続ける、[[ウメ|梅]]の花」から「いっせいに咲いてすぐに散ってゆく、[[サクラ|桜]]の花」へと「日本人が最も好む花」および「花の[[代名詞]]」が移ろったことは、[[民族]]特有の美意識の確立を物語る事象の一つにも位置付けられる。