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ZairanTD (会話 | 投稿記録)
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なお初めのうちは、[[異性]]間の奔放な性生活をほのめかすものとしてより広く用いられていた。その例としては、かつてお馴染みだったフレーズである「ゲイのロザリオ」(ニコラス・ロウの「[[:en:The Fair Penitent]]」に登場する女たらしのことで、奔放な女たらしというような意味)<ref>{{cite web |url=http://www.bartleby.com/81/10549.html |title=Bartleby dictionary|accessdate=2010年10月}}</ref>や、「ゲイ」という姓をもつ女たらしの探偵が出てくる「[[:en:The Gay Falcon]]」(1941年に映画化もされた)にみることができる。
 
20世紀中頃には、中年の独身男性を指して「ゲイ」と言う使われ方が広まっていた。これは、その魅力の乏しさや、或いは反対に独身ゆえに自由であることを表現したもので、まったくホモセクシュアリティー同性愛をほのめかすものではなかった。女性に対しても用いられており、イギリスのコミック誌「ジェーン」は、1930年代に創刊された、ジェーン・ゲイの冒険を描いたものとなっている。こちらも決してホモセクシュアルを暗示したものではなく、幾人ものボーイ・フレンドを従えた、彼女の奔放なライフスタイルを表すものだった(レディー・ジェーン・ゲイに語呂をあわせたものでもある)。
 
[[ガートルード・スタイン]]の「ミス・ファーとミス・スキーン」(1922年)に出てくる一節では、ゲイという言葉を用いてホモセクシュアルな関係が引き合いに出されている。これは、おそらく辿れる限りでは、ゲイという言葉がその意味の用語として初めて印刷された活字となって登場したものであると言われている。リンダ・ワーグナー=マーティンが示すところによれば(「素敵な異邦人たち:ガートルード・スタインとその家族」)、これは「言語の歴史において、性的な作為をもってゲイという言葉がいくらか繰り返されたものとして注目に値する」もので、エドマンド・ウィルソン<!-- ジュニアではない -->も同意している<ref>Martha E. Stone, Sept–Oct, 2002. [http://findarticles.com/p/articles/mi_hb3491/is_5_9/ai_n28939539/ "Who were Miss Furr and Miss Skeene?"], ''The Gay & Lesbian Review Worldwide''.</ref>。<!-- 1951年 -->「ジェイムズ・メローが「特権団体Charmed Circle」(1974年)で引用しているところでは、例えばこんな箇所がある。
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|||ガートルード・スタイン, 1922}}
 
1929年のノエル・コワード作のミュージカル「ビター・スウィート」の内容は、別の文脈でこの言葉を使っており、これは強くホモセクシュアリティ同性愛を意識させるものだ。<br />
また1890年代に、4枚重ねの服を着こなす伊達男たちがうたった「グリーン・カーネーション」の歌詞にはこうある。
 
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[[File:The Gay Divorcee movie poster.jpg|thumb|250px|Through the mid 20th century, the term "gay" commonly referred to "carefree", as illustrated in the Astaire and Rogers film ''The Gay Divorcee.'']]-->
 
今日における他の用法には、コワードの詩と同様の多義性がいくらかある。「Bringing Up Baby」(1938年)は、ゲイという言葉を明らかにホモセクシュアリティ同性愛を指すものとして使った初めての映画である。ある場面でケリー・グラントの服がクリーニング屋に送られてしまい、彼は女物のワンピースを着るはめになる。そのことについて問われると、彼は「ゲイになっちまったからだよ…いきなり!」と答えるのだ<ref>{{cite web|url=http://xroads.virginia.edu/~UG03/comedy/bringingupbaby.html|title=Bringing Up Baby|accessdate=2010年10月}}</ref>。しかし、まだ当時はホモセクシュアリティ同性愛を意味するものとしてこの言葉を使うことは、当たり前ではなかった。この台詞は、「何かちょっとしたおふざけでもやってみようかなと思って」という意味にとられる可能性もあったのである。グラントがこの台詞をアドリブで言ったのかたどうかについては議論がある(台本にはなかったのだ)。
 
ただ同時期のヘテロセクシャル異性愛のカップルを扱ったミュージカル映画「ゲイな出戻り女」(1934)というタイトルにも明らかなように、「お気楽な」という本来の意味でも用いられ続けている。
 
=== ホモセクシュアリティー同性愛との関わり ===
[[File:Marcha-buenos-aires-gay2.jpg|thumb|right|アルゼンチンゲイコミュニティ]]
20世紀なかばごろまでに、ゲイという言葉はいわゆるストレート(「ちゃんとした人」という含意をもった)の反義語として広く認知されていた。そして、結婚や婚約に縛られないライフスタイルのことを指すようにもなった。その他、そういった人々の装い(「ゲイ・アピール」)にある軽薄さや顕示欲を意味する言葉として、「おかま(camp)」や「女々しい男(effeminacy)」と結びついていく。この連想が、今日主に用いられているような(本来はサブカルチャーに限定されていた)意味へと次第に収斂していくことを後押ししたことには疑いようがない。「ゲイ」はそれらの語をふまえた上で、たとえば「イカれた(queer)」のような軽蔑されるべき性向を表現するにふさわしいものとなった<ref>{{cite news |title=A queer use of an inoffensive little word; Philip Howard |date=June 07, 1976 |page=12 |newspaper=[http://archive.timesonline.co.uk/tol/keywordsearch.arc?queryKeywords=A+queer+use+of+an+inoffensive+little+word The Times] |ref=CS202211015|accessdate=2010年10月}}</ref>。ホモセクシュアルな人間はすぐにでも通院すべきものとして扱われるようになり、今では「ホモセクシュアル」なものとして何かを扱うことは、つまりは病として医師の診断が必要なものであるということは半ば公然としている<ref>{{cite web|url=http://thenewgay.net/2008/09/gay-adjectives-vs-lesbian-nouns.html |title=Gay Adjectives vs. Lesbian Nouns |publisher=The New Gay |date=16 September 2008 |accessdate=4 August 2009}}</ref><ref>{{cite web|author=James Martin |date=November 4, 2000 |url=http://www.americamagazine.org/content/article.cfm?article_id=2297 |title=The Church and the Homosexual Priest |publisher=America The National Catholic Weekly Magazine |accessdate=2009年8月}}</ref><ref>{{cite web|url=http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:w9cbQ6FTvXMJ:www.usc.edu/schools/annenberg/asc/projects/soin/enhancingCurricula/J468%2520STDT-%2520KC%2520STAR.pdf+homosexuality+%22overly+clinical%22&cd=2&hl=en&ct=clnk&gl=us&client=firefox-a|title="AIDS and Gay Catholic Priests: Implications of the Kansas City Star Report"|accessdate=2010年10月}}</ref>。