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Luke1225 (会話 | 投稿記録)
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15世紀、旧キエフ公国の領土が[[リトアニア大公国]]の支配下におかれ、「公」はルーシ系の「[[リューリク]]の子孫」という古来の意味の他に、リトアニア系の「[[ゲディミナス]]の子孫」([[ゲディミナス朝]])という新しい意味が加わったのである。キエフを支配したリトアニア大公は「ルーシ大公」という称号を有し、16世紀にその称号をポーランドの受け継いだ。18世紀末の[[ポーランド分割]]にかけて[[ポーランド・リトアニア共和国]]の君主は「ポーランド王、リトアニアおよびルーシ大公」と名乗り続けた。
 
同時代、[[ラジーミル大公国]]が「[[タタールの軛]]」を断ち切った後は[[モスクワ大公国]]が[[ロシア]]に初めての中央集権国家として成立した。やがて、[[イヴァン3世]]が場合によって自ら[[ツァーリ]]([[カエサル (称号)|カエサル]]の名に由来し、[[キリスト教]]権力と東方の権力の後継者を意味する)を名乗り、次の[[イヴァン4世]](雷帝)は「大公」の称号を廃して正式にツァーリとなった。この時点でロシアの「公」たちはツァーリに対して隷属する「勤務貴族」階層に過ぎなくなり、[[18世紀]]に正式に成立したとされる[[ロシア帝国]]においては、クニャージは有力貴族に与えられる爵位称号へと変わる。これがロシア帝国の爵位3等の最上等である「公爵」である。
 
このように、東欧における「公」には単語は同じ{{lang|sla|князь}}でも実態にはいくつかの種類があり、自称かつ血族の称号であったルーシの「公」、ルーシ崩壊後階級の称号となっていったその後の「公」とでは大きく性格が異なる。特に後者では「任命される公」であったことが重要である。西ヨーロッパでprinceps系統の称号と同等視されたのは、後者の事情に基づくものである。