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同院を15カ月で退院した佐川は、マスコミに有名人として扱われ、小説家になった。その頃、日本の病院と警察がそろって刑事責任を追及すべきという方針であったのに、フランス警察の方針により、それが不可能になったことから、社会的制裁を受けるべきだという[[世論]]が起きた<ref>『週刊マーダーケースブック』2号、[[デアゴスティーニ]]、1995年</ref>。両親もこの事件の結果、父親は会社を[[退職]]することになり、母親は神経症の病気を患ったという。
 
社会復帰後、[[1989年]]([[平成]]元年)の[[宮崎勤]]逮捕では、猟奇犯罪の理解者として[[マスコミ]]の寵児となり、忙しい時は月刊誌や夕刊紙など4紙誌に連載を持っていた<ref name="shincho">『[[週刊新潮]]』[[2006年]][[2月23日]]号。</ref>。印税収入だけで100万円に達した月があった他、講演やトークショーにも出演して稼いでいた<ref name="shincho"></ref>。また、1本30万円のギャラで[[アダルトビデオ]]に出演していたこともある<ref name="shincho"></ref>。しかし[[2001年]](平成13年)頃までにはほとんどの仕事が途絶え、生活に困って[[闇金]]に手を出すようになる<ref name="shincho"></ref>。「全然ぼくはぜんぜん反省しなくて、相変わらず[[白人]]女性と付き合う、それにはお金がるというんで、初めのうちは親父おやじの[[財布]]から万札を一度抜いちどぬいたぐらいですけど、だんだんデッドヒートして、おとうとの[[チェロ]]を売り飛ばしたり、絵を売り飛ばしたり、最後には(クレジット)カードまで使って」と自ら語っている<ref name="vice">[http://www.youtube.com/watch?v=TWPyr3hpxZs VICE Japan 佐川一政 人を食った男 2/2]</ref>。[[1993年]]に知り合ったドイツ人男性から白人女性2名を紹介され、肉体関係を持たぬまま金蔓として利用され、共に海外旅行を楽しんだが、やがて佐川の過去が露見したために絶交された、という<ref name="vice" />。
 
[[2005年]](平成17年)[[1月4日]]に父が死去。翌日に母が[[自殺]]<ref name="shincho"></ref>。当時、佐川は闇金の取立てに追われて[[千葉県]]に逃げていたため、両親の死に目に会えず、社葬という理由で[[葬儀]]への出席も断られた<ref name="shincho"></ref>。その後、親の遺産で借金などを返し、2005年(平成17年)[[4月]]に[[公団住宅]]に転居<ref name="shincho"></ref>。千葉県に住んでいた頃は、持病の[[糖尿病]]が悪化し、[[生活保護]]を受けていたが、[[2006年]](平成18年)の[[インタビュー]]では「現在は受けていません」と語っている<ref name="shincho"></ref>。