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[[File:Üzeyir Hacıbəyov6.gif|thumb|150px|20世紀初頭にアゼルバイジャンの伝統音楽と西洋音楽を融合させた、ウゼイル・ハジベヨフ]]
[[File:Pht-Vugar Ibadov eurovision (2).jpg|250px|thumbnail|ムガムを演奏するアリム・ガシモフ]]
長い歴史の中で、[[アゼルバイジャン人]]は[[古代]]から音楽の伝統を紡いで来た。ムガムは旋法音楽構造に属しており、おそらくは[[ペルシア]]伝統音楽に由来する。[[新疆ウイグル自治区]]の[[ウイグル族]]はこの音楽を「{{仮リンク|ムカム|ru|Двенадцать уйгурских мукамов}}」と呼び、[[ウズベク人]]や[[タジク人]]は maqom(またはshasmaqom)と呼び、[[アラブ人]]は「[[マカーム]]」と呼び、[[ペルシア人]]は「[[ダストガー]]」と呼ぶ。{{仮リンク|メタ民族|en|Meta-ethnicity}}的なムガムの複雑性は、[[テュルク系民族]]の伝統として東洋音楽の中に遍在する「ムガム」や「マカーム」、「ダストガー」などの言葉とともに明らかになった。しかし、[[ウズベク語]]の「ムガム」は同じ言葉でもかなり異なる意味を持ち、アラビア伝統古典音楽でも同様である。よって、旋律の終わり方に共通性がみられるとしても、ある文化においてムガムの旋律方式は厳しく制限される一方、他の文化では単なる[[カデンツァ]]に過ぎないこともある。その他の文化とは特定音階とのみ一致するかも知れない。『[[ニューヨークタイムズ]]』によると、ムガムは交響曲の長さの組曲で、無計量で律動的、歌唱と楽器、鳴り続ける単音や舞踊調の繰り返しに満ちた音楽である<ref>[http://www.nytimes.com/2010/03/16/arts/music/16alim.html?ref=music Classical Azeri Poetry in Song, From a Team of Father and Daughter]</ref>。
 
ムガムは[[祈り]]と[[子守唄]]に起源を持ち、そのように母から子へ伝えられる。しかしながらムガムには数百もの種類があり戦争聖歌に似たものまである。[[16世紀]]から[[17世紀]]にはムガムは専門民謡音楽として宮廷で演じられた。この時期にダストガーがムガムの形を取り始め、タスニフと同様にムガム演奏に新たな色合いが加わった。アゼルバイジャンのムガムの達人が、[[フズーリー]]、{{仮リンク|ハビビ (詩人)|label= ハビビ|ru|Хабиби (азербайджанский поэт)}}、[[イスマーイール1世]]などによって書かれた[[:en:Aruz wezni|アルズ・ウェズニ]]式のガザルを歌った。[[19世紀]]にはアゼルバイジャン各地で音楽祭が開かれ、ムガムもそこで演奏された。同時代には[[フランス]]の科学者である[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]が{{仮リンク|シャマヒ|az|Şamaxı}}の式典に出席し、そこで聞いたムガムにとても感動したと旅行記に書いている<ref>[http://www.mugamradio.az/about-mugam/mugam-history/ History of mugam and stages of development]</ref>。アゼルバイジャンで開催されたこのような式典にはカラバフやバクー、[[タブリーズ]]からも[[:en:khananda|ハナンダ]](ムガム奏者)が参加し、これは異なる地方の歌が混ざる要因となった。だが、アゼルバイジャンの作曲家はムガムと伝統欧州様式の音楽を混ぜ過ぎた。例えば[[ヴァジフ・アディゴザロフ]]のムガム・[[オラトリオ]]に『{{仮リンク|カラバフ・シカスタシ|ru|Карабахская шикесте}}』がある<ref>Inna Naroditskaya, ''Song from the Land of Fire: Continuity and Change in Azerbaijani Mugham", New York: Routledge, 2003.</ref>。これらの作品は多くのムガムの概念を具体化したが、伝統的なムガムの形式とは大きく異なる。演奏家の間でも、同じ音楽大学で学びながら練習過程で「古典」と「伝統」の間に厳しい隔たりがあった。