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'''王 天培'''(おう てんばい)は、[[中華民国]]の軍人。黔軍(貴州軍)の軍人で、後に[[国民政府]]([[国民革命軍]])の軍指揮官をつとめた。旧名は'''倫忠'''。[[字]]は'''植之'''。[[トン族]](侗族)。弟に同じく黔軍や国民革命軍の軍人であった[[王天錫]]がいる。
 
== 事績経歴 ==
===黔軍での台頭===
父は緑営の都司だったが、後に造林業を営んだ。王天培は、初めは学問を志したが、[[科挙]]の廃止に伴い、軍人の道を志す。[[1907年]]([[光緒]]33年)に貴州陸軍小学堂に入学し、卒業後に[[武昌区|武昌]]陸軍第3中学で学んだ。<ref>徐主編(2007)、67-68頁。</ref><ref name=Liu>劉国銘主編(2005)、128頁。</ref>なおこの頃、[[袁祖銘]]とは換譜兄弟の契りを結んでいる。<ref name=Tian>『天柱県志』(1993)、877頁。</ref>