「クン・サ」の版間の差分

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このうちタイ北部に逃れた部隊のひとつ、国民党軍第27集団軍隷下の「第93軍」は、[[共産主義]]化した中国からの国土奪還のための資金集めとして、民族、国境紛争の絶えなかったタイ北部に定住、少数民族解放運動を建前に武装を続け、[[アヘン]]栽培で資金集めをしていた(そのために「アヘン・アーミー」「ドラッグ・アーミー」とも呼ばれた)。その第93軍兵士とシャン族女性の間に生まれたのがクン・サである。
幼くして両親を失ったクン・サは成長後にシャン州の国民党軍に入隊した。18歳の時に反乱事件を起こすが失敗し、山野を放浪する生活を数年送る{{sfn|吉田|2012|pp=588-591}}。
 
[[1953年]]にシャン州の国民党軍が少数の残党を残して[[台湾]]に撤収した。その後、[[ビルマ]]政府はシャン州の各民族に自衛組織を作らせてシャン州を間接統治したが、このときクン・サも政府公認の[[軍閥]]を作り、アヘン利権をめぐる闘争に参加した。クン・サの軍閥はビルマ政府と手を組んで中国政府の支援を受けた[[ビルマ共産党]]と争いつつ勢力を拡大したが、その膨張が危険視され[[1969年]]にクン・サは逮捕される{{sfn|吉田|2012|pp=588-591}}。しかし、残されたクン・サの軍閥は[[1971年]]にソ連人医師を人質に取り、政府に対してクン・サの釈放を要求する事件を起こす。クン・サはタイ政府の仲介で[[1973年]]に釈放され、タイ北部に拠点を移した。
クン・サ本人の経歴は明らかでないが、成人後、国民党残党と袂を分かち、[[アメリカ合衆国]]([[中央情報局|CIA]])の支援のもとシャン族・モン族の独立運動を大義名分とする兵力2000のモン・タイ軍(MTA)を結成。この期間に[[麻薬]]ビジネスを大々的に展開し、[[黄金の三角地帯]](ゴールデン・トライアングル)と呼ばれる世界最大の麻薬密造地帯を形成した。
 
[[1985年]]、クン・サはタイ国境に近いビルマ領内の[[ホモン]]に拠点を移した。
だがアメリカが麻薬ビジネスの取り締まりに力を入れるようになり、やがてクン・サは国際指名手配される。そのためタイ北部から国境未確定地帯のミャンマー奥地に逃げ込み、「シャン族独立」を掲げてミャンマー軍と永く対立していた。しかし、ミャンマー軍との実際の戦闘はほとんど生じず(MTAは、むしろ同じく反政府勢力である[[ビルマ共産党]]と激しく軍事衝突した)、[[1996年]]1月、ミャンマー政府との間で突然停戦合意をして投降した。投降後はミャンマー政府の庇護に置かれ、首都[[ヤンゴン]]で生活。麻薬で得た資金を合法ビジネスに転用して、ミャンマー・タイにまたがる財閥を作り上げた。アメリカ政府はクン・サの身柄の引き渡しをミャンマー政府に要求したものの、同政府はこれに応じなかった。
[[アメリカ合衆国]]([[中央情報局|CIA]])の支援のもとシャン族・モン族の独立運動を大義名分とする兵力2,5000人{{sfn|吉田|2012|pp=588-591}}を擁するモン・タイ軍(MTA)を結成した。
モン・タイ軍とビルマ軍は永く対立していたが、実際の戦闘はほとんど生じず、モン・タイ軍は、むしろ同じく反政府勢力であるビルマ共産党と激しく軍事衝突した。
クン・サ本人の経歴明らかでないが、成人後、国民党残党と袂を分かち、[[アメリカ合衆国1980年代]]([[中央情報局|CIA]])の支援のもとシャン族・モン族の独立運動を大義名分とする兵力2000のモン・タイ軍(MTA)を結成。この期間後半に[[麻薬]]ビジネスを大々的に展開し、[[黄金の三角地帯]](ゴールデン・トライアングル)と呼ばれる世界最大の麻薬密造地帯を形成した。
しかし、[[1990年代]]に入るとアジアにおけるアヘン生産の最大拠点は[[アフガニスタン]]へと移ってしまう。
 
[[1990年]]の軍事クーデターと、その後の民主化運動弾圧に対する国際的な批判をかわすために、ミャンマー政府は麻薬の取締に注力するようになった{{sfn|吉田|2012|pp=588-591}}。
また、アメリカも麻薬ビジネスの取り締まりに力を入れるようになり、クン・サにはアメリカ政府から200万ドルの[[懸賞金]]がかけられ国際指名手配される。クン・サはタイ北部から国境未確定地帯のミャンマー奥地に逃げ込み、[[1993年]]にシャン族独立を掲げて「シャン邦共和国」の独立を宣言し、自らを大統領に任じた。クン・サは麻薬王から少数部族のリーダーに代わろうとしたが、肝心のシャン族の離反が相次ぎ、1995年にはモン・タイ軍内部で反乱が発生した。
 
だがアメリカが麻薬ビジネスの取り締まりに力を入れるようになり[[1996年]]1月やがてクン・サは国際指名手配される。そのためモン・タイ北部から国境未確定地帯ミャンマー奥地に逃げ込み、「シャン族独立」解散掲げてミャンマー軍と永く対立宣言ていた。しかし、ミャンマー軍との実際の戦闘はほとんど生じず(MTAは、むしろ同じく反政府勢力である[[ビルマ共産党]]と激しく軍事衝突した)、[[1996年]]1月、ミャンマー政府との間で突然停戦合意をして投降した。投降後はミャンマー政府の庇護に置かれ、首都[[ヤンゴン]]で生活。麻薬で得た資金を合法ビジネスに転用して、ミャンマー・タイにまたがる財閥を作り上げた。アメリカ政府はクン・サの身柄の引き渡しをミャンマー政府に要求したものの、同政府はこれに応じなかった。
 
なお、クン・サの転向と第93軍指揮官である段希文が死去したこともあり、第93軍の元兵士および家族は、クン・サのミャンマー政府投降以前の[[1987年]]に武装放棄、タイ国籍を取得している。2007年10月26日に、ミャンマーのヤンゴンにて死去。
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== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite |和書 |author = 吉田一郎 |title = 消滅した国々:第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国 |date = 2012 |publisher = 社会評論社 |isbn = 9784784509706 |ref = harv }}
 
== 関連項目 ==