「土岐持益」の版間の差分

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『[[寛政重修諸家譜]]』によれば、父頼元は斉藤姓を称したものの、持益が土岐姓に復したという。江戸幕府の初代将軍[[徳川家康]]に仕え、[[大坂冬の陣]]・[[大坂夏の陣|夏の陣]]に従軍する。また、三代将軍[[徳川家光]]の上洛に従い、従五位下に叙任する。寛永2年([[1625年]])12月11日朱印状を交付される。それ以前に[[美濃国]][[本巣郡]]などで500石を加増されており、1000石の知行を宛がわれていた。寛永10年([[1633年]])及び寛永13年([[1636年]])の元日の[[江戸城]]における拝賀を見ると土岐持益・[[土岐頼長 (江戸時代前期)|頼長]]父子は[[高家 (江戸時代)|高家]]として扱われている。なお、同族の[[土岐頼勝]]・[[土岐頼義|頼義]]父子や[[畠山義真]]、[[宮原晴克]]らも同様であり、当時、幕府は[[徳川将軍家]]と同じ[[清和源氏]]を称する旗本を中心に高家を編成していたようである。寛永17年4月28日死去、享年不詳。
 
正妻は伯父の[[土岐頼次]]の娘。長男[[土岐頼長 (江戸時代前期)|頼長]]ら一男一女あり。
 
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