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浅草の漁師達は収入の道を断たれる前に故郷を捨てて船を係留できる川がある東京都大田区大森に移住した。大森では川に打った杭に多くの海苔が付く事に気が付いた野口六郎左衛門は、浅草の地場産業であった紙漉きの技術を試してみた。海苔を細かく刻みシート状に仕上げられた海苔はそれまでにない製品に仕上がった。これを浅草の商人に販売を依頼した事で浅草海苔の名前が付いた。彼らは菩提寺を大森にあった寺に移したが、浅草神社の氏子である事をやめなかったので浅草神社にその記録が残されている。
第二次世界大戦後、1949年にイギリスの藻類学者である[[キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー]]が海苔の
秋、海水温度が約20℃の時、河口近くの海にノリヒビを設置する。ノリヒビとは、養殖ノリを付着し、成長させる道具である。明治から昭和初期に木ヒビや竹ヒビが使われ、それ以降はシュロ縄を使用した網ヒビを使用する事が増えていて、これは長さ40メートル、幅1.2メートルほどの物であり、その後は20メートル程の短くマニラ麻や化繊を使用したものも増えている<ref>川崎市「網ヒビ・海苔網」</ref>。
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