「ラトガレ」の版間の差分

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m 2011年12月12日 07:26 UTC で参考文献と称して書籍名のみ書き込まれたが脚注形式で出典が本文と結びつけられていないため、参考書籍とみなす。初版が翻訳につき{{出典の明記}}は見送り
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ラトガレは歴史的に[[リヴォニア]]([[テッラ・マリアナ]])の一部であったが、[[16世紀]]の[[リヴォニア戦争]]で解体された。その最中、一時的に[[スウェーデン]]領となったが、すでにリヴォニアを組み込みつつあった[[ポーランド・リトアニア共和国]]に編入され、ポーランドの統治下となった。1621年の[[スウェーデン・ポーランド戦争|スウェーデンによるリヴォニア征服]]後もポーランド支配下に残った。そのためにポーランド領リヴォニア({{lang-de|Polnisch Livland}}または{{仮リンク|インフランティ県|en|Inflanty Voivodeship}})とも呼ばれた。ラトビアの他地域とは違い、ドイツ人支配は本質的にデューナブルク(現在の[[ダウガフピルス]])で行われたのみだった。[[宗教改革]]が行われても[[プロテスタント]]信仰はラトガレに及ばず、[[対抗宗教改革]]もあって住民は[[カトリック教会|カトリック]]教徒が現在も多く、地方方言やラトビア語が日常的に話されている。そのために、一部ではラトガレをラトビアとは別の民族集団と見なす向きもある。ラトガレは、1772年に[[ポーランド分割|第一次ポーランド分割]]を受け、[[ロシア帝国]]に編入された。
 
ラトガレの都市人口は、数世紀にわたって[[ユダヤ人]]が多数を占めてきた。例として、1897年の調査では[[レーゼクネ]]やルドザではユダヤ人人口が54%54%に及んだ。ラトガレ最大の都市ダウガフピルスでは、ユダヤ人は人口の46%46%を占めていた。ダウガフピルスにはおよそ40箇所の[[シナゴーグ]]と宗教施設があった。[[第二次世界大戦]]によってユダヤ人社会は徹底的に破壊され、現在ダウガフピルスにはシナゴーグが1つあるにすぎない。
 
現在、ラトガレにおいて[[ロシア人]]の比重が高まっており、ダウガフピルスやレーゼクネなど都市部周辺で特に高い。
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== 参考文献 ==