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'''士禍'''(しか、サファ、<span lang="ko">사화</span>)は、[[李氏朝鮮]]時代における、士(官僚)に対する[[粛清]](弾圧)の事を差す。「[[士林派|士林(士林派)]]の禍」の略語
== 概要 ==
当初、引き起こした側の[[勲旧派]]や[[外戚]]側からは「乱」と規定しているものに対し、被害者側の士林勢力側は「無実の人が被った災禍」だと主張、「士林の禍」という表現を用いた。士林派が政治的優位となった[[宣祖 (朝鮮王)|宣祖]]時代からそのまま士禍という言葉を使われた。
当初は、[[勲旧派]]や[[外戚]]が新興勢力の[[士林派]]に対して行ったものであるが、勲旧派や民衆なども巻き添えになったり、後には士林派同士の学閥、党派争いによる士禍も起こっている。
*燕山君時代、[[1506年]]の'''[[丙寅士禍]]'''。燕山君の背徳的かつ暴虐的な行為を痛烈に批判する功臣、および民衆らを燕山君自身の手で大量粛清・大量処刑した事件。
*[[景宗 (朝鮮王)|景宗]]時代、[[1721年]] - [[1722年]]の'''[[辛壬士禍]]'''('''辛丑・壬寅の獄'''、[[:ko:신임옥사]])。景宗暗殺嫌疑による[[少論派|少論]]の[[老論派|老論]]粛清事件。
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*[[中宗 (朝鮮王)|中宗]]時代、[[1519年]]の'''[[己卯士禍]]'''。[[趙光祖]]の性急な改革に対する反動による趙光祖一派の粛清事件。
*[[明宗 (朝鮮王)|明宗]]時代、[[1545年]]の'''[[乙巳士禍]]'''。明宗の[[外戚]][[尹元衡]](文定王后・尹氏の弟)らによる反対勢力の粛清事件。
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|author=朴永圭|authorlink=朴永圭|others=[[尹淑姫]]・[[神田聡]] 訳|year=1997|month=9|title=[[朝鮮王朝実録]]|publisher=[[新潮社]]|isbn=4-10-536001-9|ref=朴1997}}
[[Category:李氏朝鮮|しか]]