「マーロン・ブランド」の版間の差分

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家庭は中流だったが、両親共に酒癖が非常に悪く、父親は激しい気性の持ち主だった<ref>当時は[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]の時代だったので、両親は台所で闇[[ビール]]を造っていた。</ref>。このため少年だったブランドは次第に情緒不安定になり、反抗的な青春時代を過ごす。幼稚園児の頃から札付きの問題児であり、学校では相当の問題児だったという。小学生の頃は[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]が法の下で[[人種差別]]を受けていた当時のアメリカの状況にも関わらず黒人の生徒と仲良くしていたただ1人の白人であったため、白人の教諭から睨まれる。この様な反人種差別的な言動はその後も一生を通じて受け継がれる。その後問題を起こして謹慎処分を受けたが、無視して遊びにいったため退学処分を受ける。
 
16歳の頃に、反抗的な性格を変えようとした父に強制的に陸軍アカデミー(シャタック陸軍士官学校)に入学させられたが、教官に対しても常に反抗的で演習中に教官に口答えして、謹慎処分になったにも関わらず、無視して[[フェアボルト]]の[[ダウンタウン (曖昧さ回避)|ダウンタウン]]に遊びに行ったことが発覚。卒業直前に退学処分にされてしまう。しかし、これはアカデミー側にも問題があり、ブランドの除籍について「あまりにも一方的で極端な処分だ」「不公正だ」と学生全員が憤慨。次第に学生たちの行動はエスカレートを極め、ストライキを開始し教師がブランドの復学を認めるまで続いた。
 
根負けしたアカデミーの校長はブランドに、学業を修了して翌年に卒業するように催促の手紙を送ったが、復学を拒否<ref>[http://www.enotalone.com/article/6619.html "A biography of Marlon Brando."] ''enotalone.com.'' Retrieved: June 10, 2012.</ref>。その後、クラスメートがブランドに宛てた激励の手紙を自宅の寝室に飾って大事に保存していた。しかし晩年までブランドは、自分には教育が欠けていることを酷く恥じていたという。