「ジョージ・フォアマン」の版間の差分

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[[1994年]]11月5日、WBA・IBF世界ヘビー級王者[[マイケル・モーラー]]に逆指名され、復帰後3度目のタイトルマッチに臨む。劣勢の中で10Rに逆転の右ストレートでモーラーをKOし、20年ぶりにヘビー級タイトルへの返り咲きを果たした。45歳9カ月での戴冠は[[ボブ・フィッシモンズ]](ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年に[[バーナード・ホプキンス]](ライトヘビー級)が46歳4カ月で更新)。勝利の瞬間、フォアマンはコーナーポストの前で跪き、神に感謝した。
 
[[1995年]]3月、WBAから指名された[[トニー・タッカー]]との対戦を拒否し、WBAタイトルを剥奪される。同年4月、[[アクセル・シュルツ]]を破り、IBF王座防衛とともに[[世界ボクシング連合|WBU]]世界ヘビー級タイトルを獲得。同年7月、IBFから指名されたシュルツとの再戦を拒否し、IBFタイトルも剥奪される。この試合の同時期に[[平和のための平壌国際体育・文化祝典]]で主催の[[新日本プロレス]]の創始者・[[アントニオ猪木]]は当初、フォアマンとの対戦を希望したがフォアマンは「とんでもない。北朝鮮になど行かない。俺は第一に愛国者、第二にボクサーだ。わが国が北朝鮮と外交関係を持っていない以上、俺がそこに行くなんてありえない」と拒否。1974年[[キンシャサの奇跡]]で最初に世界王座君臨していたフォアマンをKOして世界王座奪取し1976年[[アントニオ猪木対モハメド・アリ戦|猪木と対戦]]したアリが来賓として参加
 
[[1996年]]11月3日、[[東京ベイNKホール]]でクロウフォード・グリムスリーと対戦し([[東日本ボクシング協会]]代表経験者[[木村七郎]]がプロモーターライセンス名義貸しせず[[日本ボクシングコミッション|JBC]]非公認試合・[[日本IBF]]協力)、WBU王座防衛とともに[[国際ボクシング協会 (IBA)|IBA]]世界ヘビー級タイトルを獲得(その後、IBAタイトルを返上)、TBSで放送され解説は[[二宮清純]]と猪木が務めた。[[1997年]]4月26日、ルー・サバレーセを破りWBU王座を防衛するがこれも返上する。
 
1997年11月22日、WBC世界ヘビー級王者[[レノックス・ルイス]]への挑戦権をかけて[[シャノン・ブリッグス]]と対戦し、12R判定負け。以後、リングから遠ざかるが、正式な引退表明はしていない。