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== 舜への禅譲 ==
堯には[[讙頭人驩兜|丹朱]]と言う息子がいたが、臣下から推薦者を挙げさせた。[[放斉]]は丹朱を挙げ、[[驩兜]]は[[共工]]を挙げたが、堯は二人とも退けた。みなが虞舜([[舜]])を跡継ぎに挙げ、性質がよくない父と母、弟に囲まれながら、彼らが悪に陥らないよう導いていると言った。堯は興味を示し、二人の娘を嫁した。<ref>『[[史記]]』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の41-44頁。</ref>
 
それから民と官吏を3年間治めさせたところ、功績が著しかったため、舜に譲位することにした。舜は固辞したが、強いて天子の政を行なわせた。舜の願いにより、驩兜、共工、鯀、[[三苗]]を四方に流した。20年後に完全に政治を引退し、8年たって死んだ。天下の百姓は父母を失ったように悲しみ、3年間音楽を奏でなかった。3年の喪があけてから、舜は丹朱を天子に擁立しようとしたが、諸侯も民も舜のもとに来て政治を求めたので、やむなく舜が即位した。<ref>『[[史記]]』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の44-50頁。</ref>