「ランニング・ネックブリーカー・ドロップ」の版間の差分
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1969年に全日本プロレスは存在していない |
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== 概要 ==
相手をロープに振って戻ってきたところに走り込んで、[[カウンターアタック#格闘技|カウンター]]で腕を首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに叩きつける。立っている相手に走って仕掛けることもある。形は[[ラリアット]]に似ているがラリアットが腕力で相手の首を痛めつけるのに対してランニング・ネックブリーカー・ドロップは相手の首に腕を引っかけて後頭部を叩きつけるもので技の狙いが異なる。
[[ジャイアント馬場]]が考案し
日本人以外では[[ビル・イーディー|マスクド・スーパースター]]が得意技としていたが、日本でスーパースターが参戦していた[[新日本プロレス]]ではランニング・ネックブリーカー・ドロップというのが対立団体「全日本プロレス」の総帥である馬場のオリジナル技であるため、[[テレビ朝日]]の放送などで'''フライングスリーパー'''と呼んでいた。その後、『スリーパー』の語源である[[裸絞|スリーパーホールド]]は主に頚動脈に重点をおいて絞め付け、脳への血流を止め相手の意識を奪う技であり、相手の首を腕に引っかけて後頭部を叩きつけるランニング・ネックブリーカー・ドロップとは違う技になるのでテレビの実況で[[古舘伊知郎]]がフライングスリーパーと連呼していたさい解説の[[山本小鉄]]は「絞め技ではないのでスリーパーではなく、ラリアット」と否定して、それ以来、テレビ朝日の放送では『フライングラリアット』が技名となっている。
派生技には[[三沢光晴]]が用いていたコーナーポスト最上段からのダイビング式があり、1994年に馬場から、この技でピンフォールを取ったため、一時期は三沢の最大の必殺技とされていた。だが、[[田上明]]に[[チョークスラム|喉輪落とし]]に切り返されてフォール負けして以降は、この技を封印して一度も使うことはなかった。
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