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== 目的 ==
神前で祈り、[[祝詞|祓詞]]を奏したり、財物などを[[祓物]]として拠出させることで、その罪や穢れを購わせる。なお、[[出雲大社]]には、祓について「不浄を清浄に、不完全を完全に、不良を善良にすること。更には災いを除き幸福と平和を齎す。」という教義がある<ref>『出雲大社教布教師養成講習会』発行出雲大社教教務本庁平成元年9月全427頁中96頁
</ref>。
 
== 祓所(はらえど) ==
祓による浄化の効果を増大させるために、祭場とは別の場所に忌竹を立てて、[[斎場]](いつきば)として、祓所をつくることもある<ref name="Esoterica" />。[[神職]]は、祓所の前で祓詞を唱え、神事に参列する者たちの頭上や、供えられた[[神饌]]の上を、それぞれ左・右・左の順に[[祓串]](大麻)を振って祓い浄める<ref name="Esoterica" />。また、神事によっては、沸騰させた塩水の湯をそれぞれに振りかけることもある(塩湯行事)<ref name="Esoterica" />。
 
== 大祓 ==
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== 歴史 ==
[[File:Himeji-gokoku-jinja 姫路護国神社・御祓いP7047455.JPG|thumb|240px|right|お祓いの様子([[姫路護国神社]])]]
本来、神事における浄化の儀式としては、[[禊]](みそぎ)と祓とがあり、禊が身体の穢れを除去して浄める行為を指すのに対し、祓は罪や災いをとり除く行為を指していた<ref name="Esoterica" />。だが、両者は機能が近いこともあり、[[記紀]]の時代には既に、「ミツギハライ」と複合した言い方もされるようになっていた<ref name="Esoterica" />。
 
[[法制史]]の世界においても、本来の祓には穢れを除去する要素は含まれておらず、[[天つ罪・国つ罪|天津罪・国津罪]]などを犯した者が財物を献上することで神に祈謝・贖罪を行う一種の[[財産刑]]であったとする見方がある。実際に中世の神社関係の文書では穢れの存在を理由として祓が一定期間延期・中止されたとする記述が確認され、祓は穢を除去するものではなく、反対に穢を忌避するものと認識されていたことが知られている<ref>渡邉俊「『春日清祓記』の基礎的考察」『中世社会の刑罰と法観念』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4-642-02899-8 (原論文は2010年)</ref>。
 
祓は、最も古い文献においては、記紀の、[[スサノオ|須佐之男命]]を描く部分に登場する<ref name="Esoterica" />。須佐之男命が[[高天原]]で暴れたことを哀しんだ[[天照大神]]が[[天岩戸]]に隠れてしまった際、須佐之男命は、その罪(大祓にある天津罪・国津罪)について、多くの贖いを科され、髭と手足の爪を切られ、高天原から追放されてしまう<ref name="Esoterica" />。『[[日本書紀]]』では、この贖いを「解除(はらえ)」としている<ref name="Esoterica" />。
 
[[律令国家]]成立以後は、大祓が国家儀式として行われるようになった。『[[古事記]]』[[仲哀天皇]]の段では、天皇の崩御により国の大祓を、『日本書紀』では[[天武天皇]]のころに諸国の大祓を、それぞれ行った記載がある<ref name="Esoterica" />。大祓は中世に入ってから断絶したが、[[1871年]]([[明治4年]])に再興され、現在は、全国の諸社のほか、[[宮中]][[伊勢神宮]]でも行われるようになり、非常に重要な神事と認識されるようになった<ref name="Esoterica" />。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
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== 関連項目 ==
{{Wiktionary|祓}}
* [[厄祓い]]
* [[方位除け]]