「十字軍」の版間の差分

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Kokoron78 (会話 | 投稿記録)
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=== 十字軍遠征までの経緯 ===
[[ファイル:Carte croisade.png|thumb|right|'''十字軍の遠征路''' 8回のうち、第3回、第4回、第7回、第8回は主な遠征路が海路となっている。なお、第5回と第6回は図上に示されていない。]]
トルコ人の[[イスラム王朝]]である[[セルジューク朝]]に[[アナトリア半島]]を占領された[[東ローマ帝国]]の[[皇帝]][[アレクシオス1世コムネノス]](在位[[1081年]]-[[1118年]])が、[[教皇|ローマ教皇]][[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]に救援を依頼したことが発端([[1095年]])。このとき、大義名分として異教徒[[イスラム教国]]からの聖地エルサレムの奪還を訴えた。この時皇帝アレクシオスが要請したのは[[東ローマ帝国]]への傭兵の提供であり、十字軍のような独自の軍団ではなかった。
 
ウルバヌス2世は[[1095年]]11月にクレルモンで行われた教会会議([[クレルモン公会議]]とも)の終わりに、集まったフランスの騎士たちに向かってエルサレム奪回活動に参加するよう呼びかけた。彼はフランス人たちに対して聖地をイスラム教徒の手から奪回しようと呼びかけ、「乳と蜜の流れる土地カナン」という聖書由来の表現をひいて軍隊の派遣を訴えた<ref>[[#山内 1997|山内 1997]], pp. 64-65.</ref>。