「共産主義者同盟」の版間の差分

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辻隆 (会話 | 投稿記録)
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1966年、再結成された二次ブントの基本路線は (1)国際金融危機など世界[[資本主義]]の戦後体制は動揺を開始し、プロレタリア革命への現実的条件が形成されつつあり (2)その一環として日本の戦後民主主義体制も動揺を開始し、革命か反革命かの階級的死闘の時代への過渡的な前段階が形成されつつあり (3)日本のプロレタリア人民は「生活と権利の実力防衛」を反帝闘争として組織し、プロレタリア革命への展望を切り開いていくべきで (4)プロレタリア日本革命の勝利はプロレタリア世界革命への展望を開き (5)現代日本における革命党の意識性は、「反帝闘争をプロレタリア日本革命へ!」、「日本革命をアジア革命の勝利と世界革命の突破口とせよ!」などのスローガンにしめされる、であった <ref>[http://www.geocities.jp/liberationsya/nipon-s.pdf 『新版・日本の戦闘的左翼』小山弘健編 現代史研究所 1968年]p7-8</ref>。
 
 なお思想家の[[吉本隆明]]は、1960年『中央公論』4月号で、共産主義者同盟全学連書記長島成郎らと座談会を行うなど、吉本は60年安保を、先鋭に牽引した全学連主流派に積極的に同伴することで通過した。吉本は、6月行動委員会を組織、6月3日夜から翌日にかけて品川駅構内の6・4スト支援すわりこみに参加、また、無数の人々が参加した安保反対のデモのなか、6月15日国会構内抗議集会で演説。鎮圧に出た警官との軋轢で死者まで出た流血事件の中で100人余と共に「建造物侵入現行犯」で逮捕された。
 
== 歴史 ==