「今夜は最高!」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
参考文献と打ち切り経緯の改編
1行目:
{{出典の明記|date=2013年4月29日 (月) 06:35 (UTC)}}
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名= 今夜は最高!<br /><small>〜WHAT A FANTASTIC NIGHT!〜</small>
45 ⟶ 44行目:
番組[[構成作家|構成]]は、タモリと交友が深い[[高平哲郎]]が担当していた。タモリ以外のレギュラー出演者には、[[九十九一]]や番組後半期から参加した[[久本雅美]]、[[柴田理恵]]、[[渡辺信子]]らの[[WAHAHA本舗]]メンバーらがいる。[[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]をはじめ、伴奏の担当ミュージシャンもコントのコーナーに多数登場した(バンマスの[[鈴木宏昌]]はもちろん、スタジオミュージシャンとして有名な[[松木恒秀]]、[[岡沢章]]、[[渡嘉敷祐一]]がコントをするという、普通では見られない姿が当たり前のように流れていた)。
 
[[女性]][[ゲスト]]([[テロップ]]では「パートナー」の表記<ref>形式上はメイン司会者であるタモリの週替わりパートナーという位置付けであったためであり、トークコーナーの部分では[[男性]]ゲストを真ん中に挟み両端を、タモリとパートナーの女性ゲストが座ってコーナーを展開していくという体裁が採られていた>)</ref>)は2週続けて出演、男性ゲスト(テロップでは「ゲスト」の表記)は毎回変更する形式だったが、名前だけで男性と勘違いされた[[戸川純]]が男性ゲストの代わりに呼ばれ、女性ゲストが2人になった回が一度だけある。
 
番組の撮影と収録は麹町・日本テレビの「Gスタジオ」で主に行われていた。各回の[[収録]]は[[木曜日]]から[[土曜日]]までの最低3日間はかかっていて、タモリによると週4日かかっていた事も多かったとのこと。
 
当番組では、タモリが[[サングラス]]を取る姿は珍しくなかった。女装やモノマネでは、素顔、普通のメガネ顔、かつてのアイパッチ姿の名残のある片方のみのサングラス[[メガネ]]など、サングラス無しの顔が頻繁に見られた。
 
[[斎藤晴彦]]と[[和田アキ子]]がゲストの[[1985年]][[2月9日]]放送分の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の[[日本民間放送連盟|民間放送連盟賞]]のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した(後述)。
71 ⟶ 70行目:
* [[鈴木宏昌|鈴木“コルゲン”宏昌]]
* [[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]
* [[田口トモロヲ]]
* [[福原一臣]]
* [[関弘子]]
* [[松木恒秀]]
* [[岡沢章]]
106 ⟶ 108行目:
[[1985年]][[2月9日]]に放送された([[ゲスト]]は[[斎藤晴彦]]と[[和田アキ子]])「[[昭和残侠伝シリーズ]]」の[[パロディ]][[コント]]。[[ヤクザ映画]]をクラシック[[オペラ]]風にし、ほんのわずかだが当時「[[トルコ]][[風呂]]」を「[[ソープランド]]」と改称する騒動を揶揄する風刺等が評価され、昭和60年度民間放送連盟賞、テレビ娯楽番組部門最優秀賞受賞をした。最優秀に限定すればホーム[[ドラマ]]、社会派ドラマ、[[ドキュメンタリー]]が獲得する傾向の同賞において、一介の[[バラエティ番組|バラエティ]]コントが受賞するのは非常に珍しく一際異彩を放っている。1985年[[12月28日]]には[[再放送]]も行われた。
 
流れ者のやくざ斎藤秀次郎([[斎藤晴彦]])は兄弟分の東雲組親分下河原重蔵(タモリ)を尋ね客人となる。東雲組の縄張りはかつて緋牡丹のお竜([[和田アキ子]])の父の物で一人前になったお竜がいつまでも居座る東雲組に手を引いてもらおうと交渉する中、秀次郎はお竜に「重蔵は信用してはならない」と説得する<ref>[http://www.246.ne.jp/~jun-nara/WFN/850209.html オペラ昭和任侠伝]</ref>
 
== ひばりスペシャル ==
[[美空ひばり]]がパートナーとなった放送回([[1987年]][[4月11日]]・[[4月18日|18日]]放送分)には、[[坂上二郎]]・[[団しん也]]・[[斎藤晴彦]]・[[所ジョージ]]など大勢の[[男性]][[ゲスト]]が出演する「ひばりスペシャル」として放送された(この回にも「大魔神子」が登場し、お約束のようにひばりの顰蹙を買い、タモリが恐縮していた)。
 
その後のひばりの急逝に伴い、[[1989年]][[6月24日]]放送分では、急遽「美空ひばり追悼」と題し、1987年4月11日・18日放送分を編集して[[再放送]]した。
116 ⟶ 118行目:
 
== 番組の終了 ==
[[1987年]]頃から、[[視聴率]]が10%を切る回も出てきた。それでも23時台にしては視聴率的にまだ悪くはなく、タモリは「これからも続けていきたい」と語っていた。一方女性ゲストも過去の出演者が再度登場することが多く、スポンサーであるパイオニアの代理店側からは希望するゲストが登場しないなど、スタッフ側との齟齬が生じていた。
そんな中、スポンサーであるパイオニアの一部社員や番組スタッフから「もうタモリだけじゃ(視聴率の)数字は稼げないだろう?」という発言が飛び出し、これを耳にしたタモリが激怒して「だったらこっちから願い下げだ!」と揉めてしまったために終了したといわれる。ただし高平哲郎著『今夜は最高な日々』(新潮社刊)にはそうした事実は一切ないと記述されている。しかしながら、タモリの所属事務所である[[田辺エージェンシー]]側が番組の[[打ち切り]]経緯に激怒し「今後、タモリを日テレに出さない」と通告したという。
 
[[1988年]]4月の改編でスタッフの大幅な入れ替えを実施。ディレクターのみらず音楽担当の鈴木宏昌やWAHAHA本舗が降板、新たに音楽は[[佐橋俊彦]]、コントレギュラーには[[田口トモロヲ]]と[[福原一臣]]が加入。オープニングもリニューアルされたが、視聴率は伸び悩んだ。
こうして[[1989年]][[10月7日]]放送分を以って『今夜は最高!』は累計8年・413回の歴史に幕を下ろした。以降タモリは日本テレビ系列でのレギュラー番組を持っておらず、日テレ系の番組に出演する機会も後述する特別番組以外ほとんど存在しない。
 
 
そして[[1989年]][[10月7日]]放送分を以って『今夜は最高!』は累計8年・413回の歴史に幕を下ろした。
 
そん本番組の構成を担当していた高平哲郎は「''wikipediaにはスポンサーであるパイオニアの一部社員や番組スタッフから「もうタモリだけじゃ(視聴率の)数字は稼げないだろう?」という発言が飛び出し、これを耳にしたタモリが激怒してだったらこっちから願い下げだ!と揉めてしまったために終了したと書かれてわれ。ただが、タモリも怒らない高平哲郎著『今夜は最高な日々』(新潮社刊)にはスタッフものよした事実は一切発言は出来るわけ無''」されている。しかしながら、タモリの所属事務所である[[田辺エージェンシー]]側が番組の[[打ち切り]]経緯に激怒し「今後、タモリを日テレに出さない」と通告したという。以降タモリは日本テレビ系列でのレギュラー番組を持っておらず、日テレ系の番組に出演する機会も後述する特別番組以外ほとんど存在しない
 
== スタッフ ==
167 ⟶ 171行目:
 
== 特別企画・姉妹番組 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2012年3月}}
 
=== 今夜は最低! ===
* 1981年8月22日、タモリの36回目の誕生日でもあるこの日に『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』の深夜の1コーナーにて行われた企画。
* 内容は上半身[[]]のタモリと[[赤塚不二夫]]によるショートコント集。“SMショー”を始め“ワニの生態”等の宴会芸の連続(タイトルを紹介する進行役は[[中原理恵]])で、[[チャリティー]]をメインとした特別番組とはあまりに掛け離れた内容のためにこの1回限りとなった。
* そしてこのコーナーを担当したプロデューサー「T」も以後本編の企画から外された。また、この番組は[[2インチVTR]]で録画されたと思われるため<ref>この番組が放送された当時のVTRの規格が2インチでテープ・機器ともに高価でかつ、当時は著作権等の関係で番組保存が容易に行えなかった。</ref>、テープそのものも日本テレビに残っていないとしている。
<!--**公式にはそう発表されているが、『24時間テレビ』での放送から後に総集編や回顧番組で見たとの目撃談もネット上ではあり、真偽の程は不明である。
177 ⟶ 179行目:
 
=== 今夜は営業中! ===
* 番組終了から10年になる1999年9月18日に、タモリが[[木村拓哉]]らと共演したスペシャル[[ドラマ]]『[[今夜は営業中!]]』<ref>元ネタは、この年の夏までステーションキャッチコピーで使われた「日テレ営業中!</ref>が放送され、当日がかつての放送枠である土曜夜など当番組をかなり意識したような作りとなった。
*『今夜は最高!』の終了後、あまり日本テレビで見かけることがなくなったタモリが久々に顔出したことでも当時話題となった。
* 劇中、タモリのトレードマークであるサングラスが落ちるシーンがあった。タモリはプロデューサー・森田一義(いちよし)役とタモリ本人(森田一義(かずよし))の二役を演じたが、このときかけていたサングラスは1991年から1996年まで『[[ミュージックステーション]]』や『[[ボキャブラ天国]]』以外の番組で実際にかけていた茶色のもの。本人役のときは前記の2番組および1996年 - 2002年の全番組で使った黒いサングラスをかけている。
* 木村にとって数少ない日本テレビでのドラマ出演となっている。
 
=== タモリ教授のハテナの殿堂? ===
195 ⟶ 194行目:
* タモリ『新・新今夜は最高!』(日本テレビ放送網、1983年12月)
* タモリ『新・新今夜は最高! part2』 (ISBN 9-8400-4392-7)(日本テレビ放送網、1984年2月)
 
== 参考文献 ==
* 高平哲郎『今夜は最高な日々』 (ISBN 978-4-10-326411-8)(新潮社、2010年)
 
== 脚注・出典 ==