「残留ロシア人 (南樺太)」の版間の差分

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1917年に[[十月革命|ソビエト革命]]が起こり、ロシアで社会主義政権が樹立されると、[[白系ロシア人]]の中には日本統治下の南樺太に[[亡命]]して定住する者([[マルキャン・ボリシコ]]など)が出てくるようになった。1905年から南樺太に定住する残留ロシア人と1917年以降に亡命して南樺太に定住するようになった白系ロシア人は、多くの場合は日本人から同じロシア人と認識されていた。
 
[[第二次世界大戦]]後半になって戦況が悪化すると、残留ロシア人を含めた南樺太に定住していたロシア人の多くは日本政府から敵性外国人として監視・拘留の対象となった。
 
[[1945年]]8月の[[ソ連対日参戦]]とともに[[赤軍]]が樺太に侵攻したことで、彼らの生活も大きな転機を迎えた。彼らの多くは(共産化により)これまでの財産を失い、中には政治犯として処分される者もいたが、一方で日本本土に移住・亡命する者もいた。やがて、ロシア本土から移住してきた新住民と同化し事実上消滅した。
 
== 出自 ==
残留ロシア人は、民族としてのロシア人だけでなく、[[ポーランド人]][[ウクライナ人]]も含まれていた。彼らは[[無国籍]]であったが、ポーランド人については、1918年に独立したポーランド政府から国籍が付与され、樺太在住の在日ポーランド人として扱われることになった。
 
== 関連書籍 ==