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== 国際連盟の沿革 ==
=== 設立 ===
[[第一次世界大戦]]中の[[1918年]]1月8日、[[アメリカ合衆国大統領]][[ウッドロウ・ウィルソン]]は[[十四か条の平和原則]]を発表し、その第14条「国際平和機構の設立」において国際的平和維持機構の設立を呼びかけた。この平和原則はドイツに対する講和条約の前提となり、[[パリ講和会議]]では連盟設立が重要議題の一つとなった<ref name=saito />。同年、[[ジョヴァンニ・アニェッリ (シニア)|ジョヴァンニ・アニェッリ]]と経済学者アッティリオ・カビアティ([[:it:Attilio Cabiati|Attilio Cabiati]])が『欧州連邦か国際連盟か』を出版し[[欧州統合]]を主張した<ref>"European Federation or League of Nations?", 日本EC学会 『ECの政治統合』 有斐閣 1993年 2-3頁</ref>

講和会議後に締結された[[ヴェルサイユ条約]][[サン=ジェルマン条約]][[トリアノン条約]][[ヌイイ条約]][[セーヴル条約]]の第1編は国際連盟規約となっており、これらの条約批准によって連盟は成立した。原加盟国は42カ国で、[[イギリス]]・[[フランス]]・[[日本]]・[[イタリア]]といった[[列強]]が常設理事会の[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]となり、[[1926年]]には[[ドイツ国]]、[[1934年]]には[[ソビエト連邦|ソヴィエト社会主義共和国連邦]]も加盟と同時に常任理事国となり、加盟国数が60カ国に達したが、以降は脱退・除名等で加盟国が減少に転じている<ref name=saito>斉藤孝『国際政治の基礎』有斐閣、1988年、pp112-113.</ref>。
 
提唱者が大統領である[[アメリカ合衆国]]自身は、上院外交委員長であった[[ヘンリー・カボット・ロッジ]]など[[モンロー主義]]を唱える[[アメリカ合衆国上院|上院]]の反対により各講和条約を批准せず、その後の政権も国際連盟には参加しなかった。また、[[ロシア革命]]直後の[[ソビエト連邦]](ソ連、[[1934年]]加盟)や敗戦直後のドイツ([[1926年]]加盟)は、当初は参加を認められなかった。このように大国の不参加によってその基盤が当初から十分なものではなかった。