13歳で、[[ロンドン]]の[[トリニティ・カレッジ]]・音楽コース(Trinity College of Music)のヴィクトリア女王奨学金を受けて、[[グスターヴ・ホルスト|ホルスト]]に師事、才能を認められ、16歳で[[ウィンブルドン]]のセント・ジョン教会のオルガン奏者に迎えられる。この頃、さまざまな楽器に習熟し、プロのオーケストラでもやっていける程の技量を身につける。
1912年(37歳)、軽く書いたつもりの「ファントム・メロディ」が大ヒットしてからは、「[[ペルシャの市場にて]]」に代表されるようなエキゾチックな描写音楽の方面での才能が期待され、作曲・演奏したレコードは売れ、コンサートも大いに受けた。その人気により、[[アムステルダム]]の[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団|コンセルトヘボウ]]の客演指揮者としても招かれたこともあるが、本格的なクラシック音楽の作曲家としては、1980年代に「The New Grove Dictionary of Music and Musicians」の改訂版に彼の名が載るまで認められなかった。[[アラビア]]や[[東南アジア]]の[[民族音楽]]や日本の国歌「[[君が代]]」を[[モチーフ (音楽)|モチーフ]]として用いるなど、[[オリエンタリズム]]に基づいた異国趣味的な作品を多く遺しており、クラシック入門者のファンは多い。
* [http://www.birmingham.gov.uk/ketelbey Birmingham City Council page about Ketèlbey]
* [http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/r?ammem/papr:@filreq(@field(NUMBER+@band(edrs+50812r))+@field(COLLID+edison)) downloadable and streaming recordings of ''In a Monastery Garden''] performed by the Peerless Orchestra and male chorus. From an Edison Phonograph recorded in 1921.