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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = アルバート・ケテルビー<br />Albert Ketèlbey
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{{Portal クラシック音楽}}
'''アルバート・ウィリアム・ケテルビー'''('''Albert William Ketèlbey''', [[1875年]][[8月9日]] - [[1959年]][[11月26日]])は、[[イングランド]]の[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[ピアニスト]]・音楽ディレクター。
 
== 生涯 ==
[[バーミンガム]]の出身版画師であった父親ジョージ・ケテルビー(George Ketelbey、アクサン・グラーヴは付かない)と母親セイラ・アストン(Sarah Aston)との間に出生。11歳のときには、習作の[[ピアノソナタ]]をウォーチェスター音楽祭で演奏、作曲家・[[エドワード・エルガー|エルガー]]の賞賛にあった。
 
13歳で、[[ロンドン]]の[[トリニティ・カレッジ]]・音楽コース(Trinity College of Music)のヴィクトリア女王奨学金を受けて、[[グスターヴ・ホルスト|ホルスト]]に師事、才能を認められ、16歳で[[ウィンブルドン]]のセント・ジョン教会のオルガン奏者に迎えられる。この頃、さまざまな楽器に習熟し、プロのオーケストラでもやっていける程の技量を身につける。
 
22歳で教会との契約期間が切れると、一転して[[ヴォードヴィル]]劇場の音楽監督となり、軽音楽の編曲・指揮に才能を発揮し、ミュージカルは大衆受けし、「ラウル・クリフォード(Raul Clifford)」や「アントン・ヴォドリンスキ(Anton Vodorinski)」などのペンネームを使って初期の多作品を発表した。
 
その後、30歳を過ぎた頃には本格的な[[室内楽]]や[[協奏曲]]にも傾注するが出版までには至らず、むしろポピュラーな[[軽音楽]]作曲家として名を挙げ、それらの作品は[[サイレント映画]]での伴奏音楽やカフェあるいはボールルームでの[[ムード音楽]]などとしてもてはやされ、放送局やレコード会社などの当時新しいメディアでの音楽ディレクターとして活躍した。
 
1912年(37歳)、軽く書いたつもりの「ファントム・メロディ」が大ヒットしてからは、「[[ペルシャの市場にて]]」に代表されるようなエキゾチックな描写音楽の方面での才能が期待され、作曲・演奏したレコードは売れ、コンサートも大いに受けた。その人気により、[[アムステルダム]]の[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団|コンセルトヘボウ]]の客演指揮者としても招かれたこともあるが、本格的なクラシック音楽の作曲家としては、1980年代に「The New Grove Dictionary of Music and Musicians」の改訂版に彼の名が載るまで認められなかった。[[アラビア]]や[[東南アジア]]の[[民族音楽]]や日本の国歌「[[君が代]]」を[[モチーフ (音楽)|モチーフ]]として用いるなど、[[オリエンタリズム]]に基づいた異国趣味的な作品を多く遺しており、クラシック入門者のファンは多い。
 
[[避暑地]]として有名な[[ワイト島]]の自宅において、悠々自適の生活ののち、84歳で亡くなった。
 
== 主要作品一覧 ==
特に「[[ペルシャの市場にて]]」が有名
*''The Heart's Awakening'' (1908)
*ファントム・メロディ ''Mélodie fantôme''(1912)
*[[修道院の庭にて]] ''In a Monastery Garden'' (1915)
*弦楽四重奏のための幻想曲 ''Phantasy for String Quartet'' (1915)
*月の光に ''In the Moonlight'' (1919)
*[[ペルシャの市場にて]] ''In a Persian Market'' (1920)
*牧場を渡る鐘 ''Bells Across The Meadow''(1921)
*ロマンティックな組曲 ''Romantic Suite'' (1922)
*コクニー組曲 ''Cockney Suite'' (1924)
*:『楽しいハムステッド地区』 ''Appy 'Ampstead'' が含まれる。
*序曲「チャル・ロマーノ」(ジプシーの少年)''Chal Romano(Gypsy Lad)'' (1924)
*心の奥深く ''Sanctuary Of The Hart'' (1924)
*[[中国寺院の庭にて]]''In a Chinese Temple Garden'' (1925)
*水青きハワイの海にて''By the Blue Hawaiian Waters'' (1927)
*時計とドレスデン人形 ''The Clock And The Dresden Figures'' (1930)
*エジプトの秘境にて ''In the Mystic Land of Egypt'' (1931)
*陽気なマスコットの踊り ''Dance of the Merry Mascots'' (1932)
*日本の屏風から ''From a Japanese Screen''(1934)
*イタリアのたそがれ ''Italian Twilight'' (1951)
*ジャングルドラム ''Jungle Drums''
*''Tangled Tunes''
*ウェッジウッドの青''Wedgwood Blue''
*ギャラントリー ''Gallantry''
 
== 参考書籍・外部リンク ==
* [http://www.albertketelbey.org.uk Website dedicated to Albert Ketèlbey]
* ''The Faber Companion to 20th Century Popular Music'', Phil Hardy 2001
* ''Chambers Biographical Dictionary'', Edinburgh 1990
* ''The Times'', London 1908, 1915, 1922
* [http://www.birmingham.gov.uk/ketelbey Birmingham City Council page about Ketèlbey]
* [http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/r?ammem/papr:@filreq(@field(NUMBER+@band(edrs+50812r))+@field(COLLID+edison)) downloadable and streaming recordings of ''In a Monastery Garden''] performed by the Peerless Orchestra and male chorus. From an Edison Phonograph recorded in 1921.
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[[Category:イングランドの作曲家]]
[[Category:近現代の作曲家]]
[[Category:イングランドの指揮者]]
[[Category:イングランドのクラシック音楽のピアニスト]]
[[Category:バーミンガム出身の人物]]
[[Category:1875年生]]
[[Category:1959年没]]