「上杉治憲」の版間の差分

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[[File:SukodoUesugi.jpg|thumb|鷹山による[[崇広堂]]の扁額]]
 
*頑健な体格ではなかったが、元来頑丈で大病でも病床についたことはなかったようである<ref>[[横山昭男]]『上杉鷹山』吉川弘文館 、1968年)</ref>。
*着衣は木綿、食事は一汁一菜を基本とし、木綿の使用は羽織や袴だけでなく、下着にいたるまで着衣の全てに使用していた。食事の内容は朝食に粥を二膳ほどと香の物(漬物)、昼食や夜食に千魚などの肴類を添えて、うどんやそばを食べていた。酒は飲まず、冬になると甘酒を一椀ずつ飲んでいた。結果的に倹約ができて健康にも良い粗衣粗食であった<ref>[[宮本義己]]『歴史をつくった人びとの健康法―生涯現役をつらぬく―』(中央労働災害防止協会、2002年、116-117頁)</ref>。
*上杉家へ養子入りする際、高鍋藩老臣で鷹山の傅役であった[[三好重道|三好善太夫重道]]より訓言を記した一書を手渡されているが、鷹山は生涯これを机の近辺より離さず、また鷹山の業績はこれに基づいているとされる<ref name="高鍋藩史話">『高鍋藩史話』 [[安田尚義]]著 ([[鉱脈社]]) ISBN 4860613325</ref>。この書は現在、米沢市の上杉神社に保管されている<ref name="高鍋藩史話"/>。