「東成警察署襲撃事件」の版間の差分

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== 事件の発端 ==
1951年11月10日午後6時頃、[[大阪市警視庁]][[東成警察署]]の警察官が泥酔している[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]男性(安重鎔)を生野区大友町<ref>大阪府警察史第3巻324~327ページ</ref> で発見、保護した。保護後、男性の容態が急変し、治療の甲斐なく午後7時30分死亡が確認された。
 
[[司法解剖]]の結果、死因は[[肝臓]]が破裂したことによる多臓器不全であった。彼は泥酔しながら自転車に乗り、誤って転倒した時に身体を強く打ち、動けなくなったところを警察官に保護されたのであった。
 
翌日、署長は面会に訪れた遺族に、事の次第を詳細に説明したが、朝鮮人は男性の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。
 
1951年11月12日午前7時30分ごろ、生活擁護同盟生野支部長ら約30名が署長に面会を求め、署長は代表者6名と面談し、真相を詳細に伝えた<ref>大阪府警察史第3巻324~327ページ</ref> 。
 
== 事件の概要 ==