「金城龍彦」の版間の差分

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[[近畿大学附属高等学校・中学校|近大付高]]時代は[[投手]]で、同期の[[藤井彰人]]とバッテリーを組んでいた。2年生の夏に、大阪大会決勝で[[松井稼頭央]]・[[福留孝介]]を擁する[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]に勝利し、[[第75回全国高等学校野球選手権大会]]に出場。2回戦で[[金子誠]]を擁する[[常総学院中学校・高等学校|常総学院]]に敗退。なお、投手でありながら1番打者を任されていた。
 
{{by|1994年}}には韓国の鳳凰大旗全国高校野球大会に[[新井貴浩]]とともに在日韓国人チームの一員として出場するが<ref>{{cite web|url=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=66202&thread=08|title=韓国スポーツの発展支えた体育会 元老たちが語る秘話(下)|publisher=統一日報|date=2012-01-12|accessdate=2017-05-06}}</ref><ref>{{cite web|url=http://bb-nippon.com/column/1058-asia/7844-20130727no02asia|title=第2回 韓国の高校野球事情 【韓国野球が熱い理由】|publisher=統一日報|date=2013-07-27|accessdate=2017-05-06}}</ref>、その際には現地の韓国人に受け入れてもらえず厳しいバッシングを受け、とても悔しい思いをしたという<ref name=asahi/>。
 
高校卒業後は社会人野球の[[住友金属野球団|住友金属]]に所属。[[速球]]と大きく曲がる[[カーブ (球種)|カーブ]]を武器に活躍。チームを[[社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]優勝に導き、1997年には優秀選手にも選ばれる。