「タイロン・パワー」の版間の差分

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『スエズ』や『世紀の楽団』などのヒットによりマネー・メイキング・スターのトップ10に名を連ね、1939年には映画雑誌の人気投票で“ハリウッド・キング”に選ばれるなど、フォックスの看板スターの地位を確立した。しかし本人はステレオタイプ的な二枚目役を嫌っており、新境地を開くために舞台に戻ろうとした事もあったという。また、『スエズ』で共演した[[フランス]]の人気女優[[アナベラ (俳優)|アナベラ]]と結婚するが、後に離婚している。
 
戦時中はアメリカ軍に志願した。戦後、進駐軍の兵士として訪日し、[[銀座]]の交差点で交通整理をしたという報道<ref>[http://cgi2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300573_00000&seg_number=006 日本ニュース 第258号] 1945年10月7日公開。</ref>があったが、大森洋平は『考証要集』([[文春文庫]]、2013)で史実をあげて「これは事実ではなかろう」と断定している。1950年代に入ると、二枚目スターの地位は[[グレゴリー・ペック]]などに取って代わられたが、『長い灰色の線』『陽はまた昇る』で中年の渋みも加わった一面を見せ、『愛情物語』では実在のピアニストの[[エディ・デューチン]]を演じた。
 
[[ビリー・ワイルダー]]監督の『情婦』で演技派としても再評価された矢先、『[[ソロモンとシバの女王]]』の[[マドリード]]ロケ中に心臓麻痺を起こし、44歳で急死した。彼の役は[[ユル・ブリンナー]]に交代し撮り直された。