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'''アンリ・ペリシエ'''(Henri Pélissier。[[1889年]][[1月22日]]-[[1935年]][[5月1日]])は[[フランス]]・[[パリ]]生まれの元[[自転車競技]]選手。
 
以下、本文ではアンリ・ペリシエのことを便宜上、アンリと称する。
しかしながらアンリはその年のツールを制覇した。この際アンリは、「これまで俺たちをサーカスの猛獣のように扱いやがって!」と真っ向からデグランジュを非難。さらに翌[[1924年]]の[[ツール・ド・フランス1924|ツール]]では抗議の姿勢を示すため、[[マイヨ・ジョーヌ]]を身に着けず、別に持ってきたジャージを着用してレースに出た。結局この年、アンリは第3ステージにて棄権。翌[[1925年]]の[[ツール・ド・フランス1925|ツール]]にも出場したものの、第4ステージで棄権。また1925年はアンリが出場した最後のツールとなった。
 
=== 悲劇の最期 ===
 
アンリは激昂しやすい性格で、現役時代もチームメイトを見捨てて、他のチームの選手と集団を形成することも少なくなかった。
 
 
== ドーピング問題 ==
 
1924年のツール・ド・フランスに出場したアンリ、フランシス、シャルルのペリシエ兄弟が揃って棄権。その後、以前より[[ストリキニーネ]]、[[コカイン]]、[[クロロフォルム]]、[[アスピリン]]などの薬物使用を行っていたことがあると、親しい新聞記者に打ち明けた。
 
[[Category:フランスの自転車選手]]
[[Category:ツール・ド・フランス総合優勝者]]
[[Category:フランスのドーピング違反の自転車選手]]
[[Category:ドーピング違反の自転車選手]]
[[Category:殺人被害者]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1889年生]]
[[Category:1935年没]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:殺人被害者]]
[[Category:ドーピング違反の自転車選手]]
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