「アナキズム」の版間の差分

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=== 革命運動史 ===
第一インターの強力な支部を形成した[[イタリア]]は、バクーニンの影響を強く受けた{{仮リンク|エッリコ・マラテスタ|en|Errico Malatesta|label=マラテスタ}}、{{仮リンク|カルロ・カフィエーロ|en|Carlo Cafiero|label=カフィエーロ}}、{{仮リンク|アンドレア・コスタ|en|Andrea Costa|label=コスタ}}などの指導によりアナキズムが強力に根付いた。[[ロシア]]においては、[[ロシア革命]]([[十月革命]])後の共産主義政権の独裁に反旗を翻して蜂起した[[クロンシュタット]]軍港の水兵たちの運動や、[[ウクライナ]]において[[白軍]]を撃退した[[ネストル・マフノ]]率いる[[マフノ運動]]の存在が大きい。[[モスクワ]]や[[サンクトペテルブルク|ペテルスブルク]]などの都市部においてもアナキストは、共産党の独裁に対する反対勢力として[[社会革命党]]左派([[エスエル]]左派)とも連携し、非合法をも含む様々な活動を展開している。[[スペイン]]もまたバクーニン以来、アナキズムの根強い地域であり、20世紀前半の[[スペイン内戦]]において[[アナルコ・サンディカリズム]]を主張する[[労働組合|労組]]({{es|CNT/FAI}})は[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]と対峙する[[スペイン人民戦線|人民戦線]]側では最大の勢力を誇り、各地で革命を起こし[[バルセロナ]]市などでは、都市全体を労働者によが自主管理する自治が行われ、農村でも地主を追放したあとの農地で、農民による「集産化」による共同管理が行われた。また人民戦線政府の閣僚となった{{es|CNT/FAI}}に対して革命的アナキズムの路線を貫いた{{仮リンク|ブエナベントゥラ・ドゥルティ|en|Buenaventura Durruti|label=ドゥルティ}}や、「革命」とフランコとの「戦争」の二者択一の[[アポリア]]に対して「革命戦争」の方向を提示した「[[ドゥルティの友]]」の活動も看過してはなるまい。内戦前期のスペインは、近代以降の社会で、「アナキズム革命」を一定の期間具現化した唯一の事例ともいえる
 
19世紀末から[[20世紀]]前半に[[ヨーロッパ]]を中心にして、アナキストによる力尽くの体制排除を目的とした[[暗殺]]事件が世界中で多発した。当時の世界情勢は概ね[[帝国主義]]化しており、中には反帝国主義から事件を起こしたアナキストもいたと思われるが、しかし実際には効果が上がらず、[[第一次世界大戦]]以降のアナキズムはアナルコ・サンディカリズムとし精力的に展開され、上述のようにスペイン革命においては革命の中心的勢力となる。しかし、スペイン・アナキズムの主流だった{{es|CNT/FAI}}が革命権力の問題を解決出来ず、それがその後のアナキズムの後退の始まりとなった。
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[[太平洋戦争]]敗戦後のアナキストは寧ろプルードンの立場に近く、実力での資本主義制度を打倒よりも地域コミュニティ再建の実現を目指していた。戦後のアナキズムはアナルコ・サンディカリズム系の[[日本アナキスト連盟]]と、純正アナキズム系の[[日本アナキスト・クラブ]]が啓蒙的活動を続けていたが、ほとんど影響力はなく、アナキズムは死んだに等しいと見なされていた。
 
そのようなアナキズムが蘇ったのは[[1968年]]から[[1970年]]にかけての全国的な[[学生運動|学園闘争]]においてである。学園闘争の中心となった[[全学共闘会議]](全共闘)はノンセクトであり、日大全共闘芸術学部闘争委員会(後期)などのように、旗やヘルメットを黒色とする組織も多く、またそのその組織形態もアナキズムに多い自由な評議会的なものであったことからアナキズムへの関心が芽生えることになった。東京のアナキストは連盟の後継の要素を引き摺り、学習会的・サロン的色彩を払拭出来ず([[麦社]])、それ以外もテロリスト的な小結社主義([[現代思潮新社|東京行動戦線]]、[[背叛社]])の域を出なかったが、関西・大阪のアナキストは、小組織・小グループの傾向を離脱して[[アナキスト革命連合]](ARF、アナ革連)という「アナキスト・ブント」とあだ名された統一組織を形成し、各大学や地域において強力な運動を展開した。関西の主要大学にはアナキスト連合の組織や支部が形成され、キャンパスにはアナキストの[[黒旗]]が翻り、一部では完全にマルクス主義者を凌駕していた。[[1974年]]から[[1975年]]にかけて[[連続企業爆破事件]]を起こした[[東アジア反日武装戦線]]はアナキズム傾向がある組織だった<ref>『でもわたしには戦が待っている—斎藤和(東アジア反日武装戦線大地の牙)の軌跡』「第1章 東京行動戦線から東アジア反日武装戦線へ」、東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編 、風塵社、2004年</ref>。
 
戦後のアナキストとしては、詩人の[[秋山清]]や、後に右翼の立場性を鮮明にする評論家[[大澤正道]]らがおり啓蒙的著述を続けていたが、その後、[[向井孝]]は自身のミニコミ紙で非暴力直接行動論を粘り強く持論とし、フランスにいた[[尾関弘]]は[[ダニエル・ゲラン]]の翻訳を行った。またアナキスト革命連合の活動家だった[[千坂恭二]]は『[[情況]]』や『[[映画批評]]』誌などでバクーニンの思想をベースにブント的アナキズムを精力的に展開し<ref>千坂恭二『歴史からの黙示』(田畑書店。1973年)</ref>、[[大島英三郎]]は黒色戦線社を設立し[[八太舟三]]の純正アナキズムの普及に努めた。
 
作家の[[石川淳]]や[[埴谷雄高]]、俳優の[[天本英世]]などがアナキズムに強い関心を示すとともに、映画評論家で『映画批評』編集長の[[松田政男]]、俳優の[[天本英世]]などがアナキズムに強い関心の立場明確にしていた。また現在では[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]や[[福田和也]]らがアナキズムに言及している。
 
== 世界のアナキズムの現在 ==