「内田元知」の版間の差分

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旗本内田三郎衛門貞親(550石)の長男として誕生。母は野村新蔵の娘。
父である貞親の兄谷俊次(元知からは伯父にあたる)は江戸初期に[[大久保忠]]と近かい立場をとっていた[[旗本]]で、そのため忠親が[[1614年]](慶長19年)に[[本多正信]]との権力闘争に敗れて改易に処された際には、谷俊次も所領を召し上げられ、また弟である内田貞親もそれに連座して所領を召し上げられていた。所領召し上げのあとに生まれたのがこの元知であった。
 
内田家はその後も延々と干された状態にあったが、[[1700年]](元禄13年)5月20日、ようやく赦免されて再び召しだされ、[[村上直成|村上伊予守]]の組下の[[小普請]][[旗本]]となった。[[1701年]](元禄14年)12月1日、はじめて将軍[[徳川綱吉]]に拝謁し、12月25日に切米150俵支給される。