「二諦」の版間の差分
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仏典に対する二次資料無しの解釈・要約はWikipedia:独自研究は載せないに反する。第一文に置くのは不適切。独自研究範囲を新たに指摘。 |
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'''二諦'''(にたい、{{要出典範囲|{{lang-sa-short|satya-dvaya}}, '''サティヤ・ドヴァヤ''')|date=2017年5月12日 (金) 03:09 (UTC)}}とは、[[仏教]]において真諦と俗諦のこと。真諦と俗諦をあわせて'''真俗二諦'''という<ref name="sb1097-1100">総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。</ref>。
真諦は勝義諦や第一義諦ともいい、出世間的真理を指す。俗諦は世俗諦や世諦ともいい、世間的真理を指す
{{独自研究範囲|二諦は[[部派仏教]]時代から用いられる語で<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BA%8C%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B67%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 二諦(阿含部, 毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>
▲{{独自研究範囲|[[部派仏教]]時代から用いられる<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BA%8C%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B67%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 二諦(阿含部, 毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>[[仏教用語]]。[[世俗諦]]({{lang-sa-short|saṃvṛti satya}})と[[勝義諦]]({{lang-sa-short|paramārtha satya}})を以って二諦とする記述は部派の[[論蔵]]([[毘曇部]])からみられるが<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BA%8C%E8%AB%A6+%E4%B8%96%E4%BF%97%E8%AB%A6+%E5%8B%9D%E7%BE%A9%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 二諦 世俗諦 勝義諦(毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>。|date=2017年5月12日 (金) 21:57 (UTC)|title=仏典の本文を二次資料無しで解釈した独自研究である。「世俗諦と勝義諦をもって二諦とする説が○○にある」というのは執筆者の解釈であり、この解釈の出典は無い。ノート:中道にて、この問題に関連する議論がおこなわれている。}}
== 概要 ==
{{独自研究範囲|部派仏教の[[論]]([[アビダルマ]])のひとつである『[[阿毘達磨大毘婆沙論]]』には<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E9%98%BF%E6%AF%98%E9%81%94%E7%A3%A8%E5%A4%A7%E6%AF%98%E5%A9%86%E6%B2%99%E8%AB%96&mode=search&uarnums%5B1545_27%5D=1545_27 阿毘達磨大毘婆沙論(毘曇部-阿毘達磨大毘婆沙論)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>、二諦を解釈する際に必須となる世俗諦と勝義諦の解釈が、すでにいくつかあることが記されている<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『阿毘達磨大毘婆沙論 (五百大阿羅漢造 玄奘譯) 』 (T1545_.27.0399c08: ~): 餘契經中説有二諦。一世俗諦。二勝義諦。問世俗勝義二諦云何。有作是説。於四諦中前二諦是世俗諦。男女行住及瓶衣等。世間現見諸世俗事。皆入苦集二諦中故後二諦是勝義諦。諸出世間眞實功徳。皆入滅道二諦中故。復有説者。於四諦中前三諦是世俗諦。苦集諦中有世俗事義如前説。佛説滅諦如城如宮或如彼岸。諸如是等世俗施設滅諦中有。是故滅諦亦名世俗。唯一道諦是勝義諦。世俗施設此中無故。或有説者。四諦皆是世俗諦攝。</ref>
漢訳仏教では、二諦の一方とする勝義諦(paramārtha-satya)を第一義諦と漢訳または真諦に同義とする説や<ref>[http://kotobank.jp/word/%E4%BA%8C%E8%AB%A6 二諦] - [[大辞林]]/[[大辞泉]]/[[コトバンク]]</ref>、二諦とは別の第三の諦を[[中諦]]とし<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E8%AB%A6-70984#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 三諦], [https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E8%AB%A6-567678#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 中諦] - コトバンク。</ref>、この中諦を第一義諦として、その観である中観を第一義観(第一義空)とする<ref name="naka">中観, 第一義空 『広説佛教語大辞典 中巻』 中村元著 東京書籍。</ref>説がある。前者は[[ナーガルジュナ]](龍樹)の『[[中論]]』の説とされ{{要出典|date=2017年4月30日}}、後者は[[天台宗]]の説である。
天台教学では自説の第一義諦を[[中道]]第一義諦といって区別した<ref name="naka"/>。[[中観派]]といった場合はナーガルジュナ(龍樹)の『中論』に端を発する教学のことを指して、天台教学の三観(空・仮・中観)を指すものではない<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE-97124#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 中観派], [https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E8%A6%B3-70484#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 三観] - コトバンク。</ref>。
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