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'''日誉源貞'''(にちよげんてい、生年不詳 - [[慶安]]5年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]([[1652年]][[8月22日]]))は、[[江戸時代]]初期の[[僧]]。[[伊奈忠次]]の子。俗名'''伊奈忠'''<ref name="伊奈">{{Cite book|和書|author=伊奈町教育委員会 編|title=伊奈町史 別編 伊奈氏一族の活躍|publisher=[[伊奈町]]|year=2008|page=81}}</ref>{{#tag:ref|『伊奈家系譜略』(杉浦家文書)による記述<ref name="伊奈"/>『[[寛政重修諸家譜]]』によれば幼名は「縫殿助」、俗名は「忠武」と記されている<ref name="諸家譜">{{Cite book|和書|chapter=藤原氏(支流) 伊奈|title=寛政重修諸家譜|volume=第5輯|publisher=國民圖書|year=1923|page=899-900 |url={{NDLDC|1082718/458}}}}</ref>。|group=注}}。兄に[[伊奈忠政|忠政]]、[[伊奈忠治|忠治]]。弟に[[伊奈忠公|忠公]]、[[伊奈忠雪|忠雪]]、長直、忠氏。姉妹に娘([[内藤正成]]室)、娘(宮田主馬室)、娘(向井忠宗室)。
 
幼少時に病弱であったため仏門に入り<ref name="諸家譜"/>、[[鴻巣宿|鴻巣]][[勝願寺 (鴻巣市本町)|勝願寺]]の住職・[[円誉不残]]に師事して同寺の第6代住職となった<ref name="鴻巣">{{Cite book|和書|author=鴻巣市市史編さん調査会 編|title=鴻巣市史 資料編 4 近世 2|publisher=[[鴻巣市]]|year=1996|page=548}}</ref>。[[元和 (日本)|元和]]4年(1618年)、[[武蔵国]]赤山領を拝領した兄の忠治からの依頼で古寺を再興して源長寺と名付け伊奈氏の菩提寺とし、開山に円誉不残を迎えた<ref name="金箱">{{Cite book|和書|author=金箱文夫 著、柳田敏司 監修|title=さきたま文庫31 源長寺 川口|publisher=[[さきたま出版会]]|year=1991|isbn=4-87891-231-6|page=28-29}}</ref>。
幼少時に病弱で仏門に入る。兄の関東郡代の忠治の依頼で古寺を再興し源長寺とし、伊奈氏の菩提寺とした。その後、[[鴻巣宿|鴻巣]][[勝願寺]]([[浄土宗]][[関東十八檀林]]の1つ)の6世住職となり、[[寛永]]18年([[1641年]])11月15日、[[紫衣]]を許される。のちに同じ関東十八檀林筆頭である[[鎌倉]][[光明寺 (鎌倉市)|光明寺]]の38世となる。その後の足跡については資料が残されていない。
 
[[寛永]]18年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1641年12月17日)、[[紫衣]]を賜ると、のちに[[関東十八檀林]]筆頭である[[鎌倉]][[光明寺 (鎌倉市)|光明寺]]の37世住職となり<ref name="鴻巣"/><ref name="金箱"/>、さらに[[京都]][[知恩院]]の大僧正を務めた<ref name="伊奈"/>。
 
[[慶安]]5年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]](1652年8月22日)に死去<ref name="鴻巣"/><ref name="伊奈"/>。法名は玉蓮社日誉上人源貞大和尚<ref name="伊奈"/>。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
{{Buddhism-stub}}
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[[Category:江戸時代の僧]]
[[Category:伊奈氏]]
[[Category:生年不明]]
[[Category:1652年没]]