「三好実休」の版間の差分

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== 名前 ==
{{Imageframe|content=[[File:Miyoshi Shisou kao.svg|150px]]|caption=之相が[[東寺]]の[[木食上人]]に宛てた手紙での諱と[[花押]]}}
実休は[[旧字体]]では'''實休'''で、これは生前に名乗った[[戒名]]であり、同時代の[[一次資料]]に見える[[俗名]]の[[諱]]は'''之相'''<ref>天文8年10月に[[白峯寺]]に出された禁制は「彦次郎之相」の名で出されている。<br>{{Cite book|和書|editor = 岡田唯吉 |title = 崇徳院と讃岐|year = 1938|publisher = 鎌田共済会|id={{全国書誌番号|46060120}}|chapter=細川持隆白峰廟崇敬の制札を發す 持隆臣、三好之相制札|chapterurl = {{NDLDC|1207238/43}}}}</ref>、後に'''之虎'''<ref>安宅冬康が[[顕本寺 (堺市)|顕本寺]]に宛てた『顕本寺文書』「安宅冬康判物」など。<br>{{Cite book|和書|editor = 小杉榲邨|title = 阿波国徴古雑抄|year = 1913|publisher = 日本歴史地理学会|id={{全国書誌番号|43017505}}|chapter= 和泉國堺津顯本寺所藏文書|chapterurl = {{NDLDC|949391/180}}}}</ref><ref>天野(2014)・141頁</ref>である。ただし、書籍によっては実休の俗名を'''義賢'''や'''之康'''としている。