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[[ユダヤ人|ユダヤ系]]で[[理学療法]]の先駆者だった南軍軍医総監の[[サイモン・バルーク]]の家庭に生まれる。
''A.A. Housman & Company''(現[[メリルリンチ]])の共同経営者としてキャリアを積んだ。
第一次世界大戦では、ウィルソン大統領の側近として戦時産業局の長官となって[[軍需産業]]を統制し、産業分野から合衆国の戦争を指揮する重要人物となった。戦時産業局は[[パリ講和会議]]の代表団と計画して[[ブルッキングス研究所]]を設立した。イギリスとフランスの[[ドイツ国|ドイツ]]への賠償要求には反対し、ウィルソンの[[国際連盟]]構想を支持した<ref>Leab, Daniel et al., ed. "The Great Depression and the New Deal: A Thematic Encyclopedia." ABC-CLIO LLC., 2010, p. 11.</ref>。
 
ルーズヴェルト大統領はウィルソン大統領の影響を受けていたため、そのスタッフを自分の顧問にしていた。その中でもバルークはウィルソン時代より確立させた数々の業績によって、その活動内容や権限について議会による掣肘を受けないでいられるきわめて特権的な「影の大統領」とも言うべき立場にあり、事実上のトップ(名目は「私的顧問」でも実質的には「重要政策の指南役」)であったといわれる。