「大久保忠増」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
5行目:
== 宝永噴火と藩政 ==
{{see also|伊奈忠順}}
宝永4年([[1707年]])11月の富士山噴火([[宝永大
翌宝永5年([[1708年]])[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]、幕府は被害の大きかった[[足柄地方]]と御厨地方(現[[御殿場市]])の6万石を[[天領]]とし、藩には代わりに[[伊豆国|伊豆]]、[[美濃国|美濃]]、[[播磨国|播磨]]のうちに代替地が与える処分が出され、早くも[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]には[[関東郡代]][[伊奈忠順]]を復興総奉行に任命し、その資金は全国から100石につき金2両という割合で高役金(臨時課税)を課して集めた48万両余を当てる一方、被災地の土地改良・河川改修の手伝普請に[[備前国|備前]][[岡山藩]]など5つの諸大名に分担せしめた。
28行目:
※参考文献:大日本近世史料「柳営補任」、児玉幸多監修・新田完三編「内閣文庫蔵・諸侯年表」東京堂出版
==
{{Reflist}}
{{小田原藩主|大久保氏|2代|1698年 - 1713年}}
|