「バーナード・バルーク」の版間の差分

 
なお、原爆の開発を主導したマンハッタン計画にも関わっており、京都への原爆投下を主張していたと言われている。
 
彼がルーズベルト時代に行った数々の”提言”によってアメリカが第二次大戦における”最大の勝者”となったことは紛れも無い事実であるが、同時にソビエトの領土拡大を妨害し続けていた日本とドイツを徹底的に攻撃する事で、”ソ連の延命のみならず共産勢力の伸張を実現させた”ことは紛れも無い事実であり、その戦略全体を見るとまるで世界を資本主義と共産主義に二分することで世界規模の冷戦状態を現出させるという方向性を持っていたことは事実である。
 
この冷戦が平和時における戦争経済体制の継続につながり、彼の古巣のアメリカ産業界に莫大な利益をもたらす結果となったことも事実であったが、それが成り行き任せの結果だったのか、計算を働かせた上での結果だったのかはついに本人から語られることは無かった。
 
== 出典 ==