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[[画像:CodazziTaiwanRamen.jpg|thumb|200px|台湾ラーメン]]
'''台湾ラーメン'''(たいわんラーメン)は、主に[[中京圏]]の[[中華料理]]店・[[台湾料理]]店にて供される[[ラーメン]]の一種である。[[豚肉|豚挽き肉]]・[[ニラ]]・[[ネギ|長ねぎ]]・[[モヤシ]]などを[[トウガラシ]]で辛く味付けして炒め、[[醤油]]ベースの[[スープ]]を加えて茹でた麺にかけたもので、[[ニンニク]]をたくさん入れるのも特徴の一つ。[[愛知県]][[名古屋市]]がその発祥で、[[名古屋めし]]の一種とされる。だが、台湾には台湾ラーメンがない。
[[ファイル:Misen-yaba.taiwanra-men.jpg|サムネイル|味仙 矢場店の台湾ラーメン]]
 
== 発祥と普及 ==
{{独自研究|date=2013年2月|section=1}}
1970年代に、名古屋市[[千種区]][[今池 (名古屋市)|今池]]にある台湾料理店『[[味仙]]』(みせん)の台湾人店主の[[郭明優]]が、[[台南市|台南]]名物の[[担仔麺]]を元に[[賄い料理]]として作ったのが起源とされる<ref name="misen">[http://www.misen.ne.jp/ganso/ 元祖“台湾 ラーメン”の店](味仙公式サイト)<br />[http://allabout.co.jp/gm/gc/66378/ 台湾にはない台湾ラーメンは名古屋生まれ](All About、2006年8月8日、執筆: 大竹敏之)</ref>。郭明優は1970年代半ばの時、友人と一緒に故郷の台湾に旅行で行き、台湾で担仔麺を食べて、日本に帰った後に、友人から台湾で食べた担仔麺を日本でも食べたいから作ってくれという事で、色々研究して担仔麺を作ろうとしたがなかなかうまくいかず、郭明優自身が辛い食べ物が好きという理由でトウガラシやニンニクなどを炒めたりアレンジを加えて混ぜてみたりして従業員の為の賄い料理として振る舞っていた。郭明優の友人でもある店の常連客が、ピリ辛の担仔麺の賄い料理を見て美味そうだから作ってくれと頼まれて作ってあげたら、美味いからメニューに加えた方が良いと説得され、『台湾ラーメン』として店に出す事になったという。『台湾ラーメン』の名前の由来は、店に出す際に郭明優がネーミングをどうしようかと考えた時、元々、故郷の台湾で担仔麺を食べて、担仔麺を日本で作ろうとした事から、この麺料理に辿り着いたと言う台湾の麺料理の繋がりの理由により、『台湾ラーメン』と命名したと言う。担仔麺を名古屋人の好みに合わせて味付けを辛くしたものであり、『台湾ラーメン』の完成には1年近くの試行錯誤の研究の末完成したという。なお、台湾ラーメンの元となった担仔麺は『味仙』のメニューに現在でもある。郭明優の故郷・台湾では[[四川省|四川]]発祥の[[担々麺]]などの辛い麺料理はあるが、「名古屋ラーメン」として逆上陸するまで同一の激辛ラーメンは存在しなかった<ref>{{Cite web|url=http://j-town.net/aichi/news/localnews/204688.html?p=all|title=名古屋名物「台湾ラーメン」が台湾では「名古屋拉麺」と呼ばれていたことが明らかに...|publisher=Jタウンネット|language=日本語|accessdate=2016-11-06|date=2015-05-08}}</ref>(「[[ナポリタン|スパゲティ・ナポリタン]]」や「[[アメリカン・コーヒー]]」がないのと同じ)。[[ファイル:Misen-yaba.taiwanra-men.jpg|サムネイル|味仙 矢場店の台湾ラーメン]]
 
この麺は以前から店のメニューとして存在しており、一部の客の間だけで愛されていた。急激に広まったのは激辛ブームに沸いた1980年代中期からで、辛い料理として多くのテレビ番組で取り上げられた。「トウガラシに含まれる[[カプサイシン]]には痩せる効果がある」「具材のニラなどでスタミナが付く」などといった触れ込みによって人気に火が付いた。