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{{Otheruses|瞑想に関する用法|その他の三昧|三昧#俗用}}
{{出典の明記|date=2015年8月}}
サマーディの[[音写]]である'''三昧'''(さんまい、{{翻字併記|sa|समाधि|samādhi|N|区=、}})は、仏教や[[ヒンドゥー教]]における[[瞑想]]で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。'''三摩地'''(さんまぢ)、'''三摩提'''とも音訳され、'''等持'''、'''定'''と義訳される<ref name="Yamashita">山下博司 『ヨーガの思想』 講談社〈講談社メチエ〉、2009年、127-129頁。</ref>。サマーディの語は「組み合わせ」という原義から「心を等しく持すること」の意に転じたもので、サマーパッティ (samāpatti, 等至) とも意味内容はほぼ同じとされる<ref name="Yamashita"/>。仏教においては個別に'''[[定]]'''にて解説するが、仏教においても定の定義に沿わないものは本記事にて解説する。
 
この{{ラテン翻字|sa|samādhi}}という語は、インドの[[瞑想]]の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つ[[ヒンドゥー教]]や[[ヨーガ]]の用語としても用いられている。インドでは聖者の入滅をサマーディと表現する<ref name="Yamashita"/>。
 
俗語としての三昧の用法については、下部の[[#俗用]]を参照。
 
==『摩訶止観』において==
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== 俗用 ==
{{出典の明記|date=2017年5月27日 (土) 05:13 (UTC)|section=1}}
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2017年1月}}
* 日常表現では上述の仏教用語を拡大解釈して、まるあそびや、あることばかり続いている、~に漬かりっぱなし。読書三昧、勉強三昧、ぜいたく三昧、[[今日は一日○○三昧]]など。この場合、[[連濁]]して「~ざんまい」と発音される。[[玉木正之]]は[[川上哲治]]が好んで[[野球]]三昧と揮毫していたことを紹介し「この言葉は言い換え語の『野球漬け』などよりよほど深い、日が暮れるまで野球に明け暮れた少年時代に通じる境地」と述べている。