「フランクフルト・アム・マイン」の版間の差分

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アルトシュタット区(直訳すると「旧市街」区)の区境に沿って 12世紀に建造された市壁、いわゆるシュタウフェンマウアー([[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウフェン時代]]の壁)があった。この壁は、現在のノイエ・マインツァー通り - カイザー通り - ロスマルクト - ツァイル - [[クルト・シューマッハー]]通りにおおむね沿って建造されていた。アルトシュタットには、フランクフルト大聖堂や有名な[[パウロ教会|パウルス教会]]がある。17世紀のフランクフルトの姿を詳細に描いた[[マテウス・メーリアン]]の版画がある。
 
現在のイネンシュタット区(直訳すると「内市街」区)は、1333年からノイシュタット(直訳すると「新市街」)として拡張された旧市街の一部で、19世紀に大規模な改造を受けた。17世紀から旧市街を囲んでいた大きな堡塁を持つ[[バロック建築|バロック様式]]の都市防衛施設は取り壊され、堡塁の鋸歯型の遺構は旧市街を取り囲む環状の公園施設に造り替えられ、フィッシャーフェルトが建設された。[[都市プランナー]][[ゲオルク・ヘス]]は新しい建築物を印象づけるような規則を設けた。施主に対して[[古典主義建築|古典主義様式]]を採用するよう要求したのである。フランクフルト古典主義建築の例として、1820年から1825年に建設され1944年に一部が破壊された旧市立図書館が挙げられる。この建物は2005年に「文学館」として元の姿に復元された。鋸歯状施設内を巡る遊歩道には建造物を建設することは、1827年の{{仮リンク|ヴァルゼルヴィトゥート|de|Wallservitut}}と呼ばれる条例によって禁止された。この規則は、市が認可したいくつかの例外([[旧オペラ座|アルテ・オーパー]]、シャウシュピールハウス、[[ヒルトンホテル]]など)を除いて、現在も遵守されている。
 
1678年から1681年にツァイルの入口に建設されたバロック様式のカタリーナ教会は、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の一家と親密な関係にあった。現在この教会はフランクフルト最大の[[プロテスタント]]教会である。