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== 日本の租庸調 ==
[[大化の改新]]([[645年]])において、新たな施政方針を示した[[改新の詔]]のひとつに「罷旧賦役而行田之調」とあり、これが租税の改定を示す条文である。ここに示された田之調は田地面積に応じて賦課される租税であり、後の田租の前身に当たるものと見られている。日本の租庸調制は、中国の制度を元としているが、日本の国情を考え合わせ、日本風に改定して導入したものである。
 
租は[[国衙]]の正倉に蓄えられ地方の財源にあてられ、庸調は都に運ばれ中央政府の財源となった。庸と調を都に運ぶのは生産した農民自身で、[[#運脚|運脚夫]]といい、国司に引率されて運んだ。