「ジョー・クラーク」の版間の差分

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{{Otheruses|[[カナダ]]第21代[[カナダ首相|首相]]|[[アメリカ合衆国]][[テニス]]選手|ジョセフ・クラーク}}
{{政治家
|人名 = ジョー・クラーク
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|国略称 = {{CAN}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1939|6|5}}
|出生地 = {{CAN1921}} [[アルバータ州]][[ハイリバー]]
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|配偶者 = [[モリーン・マクティア]] (1952(1952年 - )
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}}
'''ジョー・クラーク'''('''Joe Clark'''、本名:Charles Joseph Clark、[[1939年]][[6月5日]] - )は、[[カナダ]]の[[政治家]]、[[実業家]]、大学教授で、元[[ジャーナリスト]]。1979年6月から1980年3月まで、第21代[[カナダ首相|首相]]を務めた。
 
== 来歴 ==
[[アルバータ州]][[ハイリバー]]に生まれる<ref>[http://www.cbc.ca/archives/categories/politics/prime-ministers/the-man-from-high-river-joe-clark/young-joe-clark.html]</ref>。
 
[[アルバータ大学]]で[[政治学]]の[[学士]]・[[修士]]を得る。[[ダルハウジー・ロースクール]]にも進むが[[学生自治会]]、進歩保守党、学生新聞などに参加し学位を得ず、その後[[ブリティッシュコロンビア大学]]に転校するが再び学生自治会で活動し、その後進歩保守党に参加した。
転校するが再び学生自治会で活動し、その後進歩保守党に参加した。
 
比較的経験が浅かったにもかかわらず、短期間で連邦政府での政治で頭角を現し、1972年総選挙で[[庶民院 (カナダ)|下院]]議員となり、1976年の[[カナダ進歩保守党|進歩保守党]]党首選挙で党首の座を獲得、1979年総選挙で[[カナダ自由党|自由党]]の[[ピエール・トルドー]]政権を破り政権を獲得した。40歳の誕生日の1日前に39歳で首相となり、カナダ史上最も若い首相となった。在任期間は短く、予算案否決で解散し、1980年の総選挙では再び進歩保守党が敗北し、1983年の党首選挙でも敗北した。
 
1984年、[[ブライアン・マルルーニー]]政権で再び閣僚に復帰したが、1993年の総選挙に出馬せず一旦引退した。1998年に政界復帰し2003年まで党首を務め、2000年から2004年の間、まで下院議員を務めた。その後政界を引退し、政治学の教授とコンサルティング業を営む。
 
[[カナダ勲章]]コンパニオンを受勲<ref>[http://archive.gg.ca/honours/search-recherche/honours-desc.asp?lang=e&TypeID=orc&id=3342]</ref>。
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{{Politician-stub}}
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{{DEFAULTSORT:くらあく しよお}}
[[Category:カナダの首相]]
[[Category:カナダの外相]]
[[Category:カナダの議員]]
[[Category:アルバータ州の人物]]