「イラクの国旗」の版間の差分

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'''[[イラク]]の[[国旗]]'''は、[[1921年]]の建国以来、六つの異なる版が導入された。
 
現在の国旗は[[2008年]][[1月22日]]の国旗法改正により制定されたもので、[[#1991年 - 2004年|1991年制定の国旗]]から[[バアス党]]のスローガンであった「統一、自由、社会主義」を表す三つの星を削除すると共に「'''[[アッラーフ・アクバル]]'''([[アッラーフ]]は偉大なり / {{lang|ar|الله أكبر}})」の文言を[[サッダーム・フセイン]]元大統領の直筆とされる筆記体から[[クーフィー体]]に変更したデザインとなっている。 しかし、[[スンナ派]]住民が多い[[アンバール県]]等では、今も旧政権時代の国旗をイラク政府への抗議の意味を含めて掲げている。
 
[[アラビア文字]]を入れた他の国旗([[サウジアラビアの国旗]]など)と同様、[[旗章学用語|ホイスト]](旗竿側)が右である。
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=== 1991年 - 2004年 ===
[[ファイル:Flag of Iraq, 1991-2004.svg|thumb|{{FIAV|historical|n}}{{FIAV|sinister}} [[1991年]]1月に修正された国旗(縦横比2対3)]]
[[1991年]][[1月13日]]、サッダーム・フセイン政権により国旗は若干変更された。三つの星の意味はアラブの三地域という当初の意味から、バアス党のモットー「統一、自由、社会主義」を象徴すると改められ、さらに三つの星の間に「アッラーフ・アクバル」の文言が筆記体で入れられた。この筆記体はサッダーム・フセインの直筆を基にしたとされており、この変更自体も[[湾岸戦争]]の最中にありアメリカによる侵攻が目前に迫っていた状態のイラクが、イスラーム世界からの支援を集める意図で入れたと推測されている。フセイン体制崩壊後の2008年の国旗法改正で正式に廃止され、現行の国旗へ移行も旧体制の象徴とて公の場での使用禁止された。しかし、スンナ派住民の多い県では今もシーア派主導の政府への抗議・反発を示すためにあえてこの国旗揚されてい地域人々あるいた
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