「1996年モナコグランプリ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
39行目:
決勝当日の午前中に激しい雨が降り、レース開始時刻には止んでいたものの路面はまだ濡れており、[[ヨス・フェルスタッペン]]以外は各車[[レインタイヤ]]を履いてスタートに臨んだ。[[デビッド・クルサード]]はヘルメットのバイザーが曇ってしまうため、急遽シューマッハのスペアヘルメットを借りることになった。
 
スタートでは2番グリッドの[[デイモン・ヒル]]がトップに立ち、すかさず後続を引き離し始める。ただ1台ドライタイヤでスタートするギャンブルに出たフェルスタッペンが、1コーナーでスピン・クラッシュし早くもリタイア。さらに2番手を走行していたシューマッハが、トンネル手前のポルティエでスリップしてガードレールにクラッシュ、サスペンションが折れを壊しマシ前年度チャを降りピオンが呆気なくリタイアした。ほかにも[[ルーベンス・バリチェロ]]がラスカスでスピン、[[ジャンカルロ・フィジケラ]]と[[ペドロ・ラミー]]が接触するなど、オープニングラップで早くも5台がリタイアする波乱の幕開けとなった。
 
その後も荒れた展開は続き、[[片山右京]]、[[リカルド・ロセット]]が相次いでクラッシュ。10周目には3番手を走行していたベルガーが[[ギアボックス]]トラブルでマシンを降りた。
47行目:
予選14番手だった[[オリビエ・パニス]]は燃料をたっぷり積んでスタートし、ピットストップでの再給油を短くしたことで7位から4位にポジションを上げた。パニスは[[ファステストラップ]]を連発し、フレンツェンと同じくヘアピンでアーバインのインを狙い、3番手進出に成功する。アーバインはバリアにぶつかった上に、シートベルトを緩めてしまったため、ピット作業で大幅にタイムロスした。
 
ヒルは快調なペースでとばし、2番手の[[ジャン・アレジ]]に20秒以上の大差をつけて独走していた。しかし、41周目に全開でトンネルを走行中、突然[[ルノーF1|ルノー]]エンジンが白煙を吹き上げてストがブローアップ。父[[グラハム・ヒル]]に続く親子2代モナコ制覇の好機をふいにしは呆気なく逃げしまった。
 
ヒルのリタイヤによってトップに立ったアレジも、2位のパニスに30秒の大差をつけていたが、60周目に突然ピットイン。何とかコースに戻ったが、次の周にまたピットインしてマシンを降りた。原因はサスペンションのトラブルであった。これでパニスがトップに立ち、コース上には再び雨が降り始めた。
 
その後も波乱の展開は続き、67周目には5位走行中のヴィルヌーヴが6周遅れの[[ルカ・バドエル]]とミラボーで接触してストップ。バドエルもリアサスペンションが折れており、トンネルに入る直前でストップした。これでコース上に残っているのは1位パニス、2位クルサード、3位[[ジョニー・ハーバート]]、4位フレンツェン、5位[[ミカ・サロ]]、6位[[ミカ・ハッキネン]]、7位アーバイン(1周遅れ)という7台のみになった。パニスの1秒後方には(シューマッハのヘルメットを被る)クルサードが迫ってきたが、パニスは落ち着いた走りで隙を与えなかった。
 
モナコGPの規定周回数は78周だが、ウェット路面での走行と上位の脱落によってレース展開が遅くなり、2時間ルール<ref>スタートから2時間を経過した時点で走行中のラップでレースを早期終了するというルール。</ref>が適用される運びとなった。71周目に、アーバインが、奇しくもチームメイトであるシューマッハがクラッシュした場所とまったく同じポルティエでスピン。体勢を立て直そうとスピンターンしたところにサロとハッキネンが玉突き事故を起こす形となり、3台がここでリタイアしてしまった。さらに4位のフレンツェンも残り2周でピットに戻ってレース続行とりやめ断念した。
 
結局、レースは2時間ルールが適用され75周で終了、正式にチェッカーフラッグを受けたのはわずか3台だった。優勝はパニス、2位にクルサード、3位にハーバートとなり、ピットで棄権しマシンを降りたフレンツェンが4位、規定周回数の90パーセントを走破していたサロ、ハッキネン、アーバインがそれぞれ5、6、7位。完走扱いを含めてもわずかに7台という近年まれに見る大波乱のレース結果となった。
 
オリビエ・パニスとエンジンサプライヤーの[[M-TEC|無限]]にとって初優勝。[[リジェ]]にとっても[[1981年カナダグランプリ]]の[[ジャック・ラフィット]]以来15年ぶりの優勝を獲得し、モナコGPでフランス人のパニスがフランスチームのリジェでフランス国旗を掲げるという感動的なウイニングランとなった。しかし結果としてこれがチームにとって最後の優勝であり、パニスにとってもF1で唯一の優勝となった。
 
== 結果 ==