「アジア・アフリカ会議」の版間の差分

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これら5ヶ国とエジプトと中華人民共和国が中心となって、翌[[1955年]][[4月18日]]にアジア・アフリカ会議の開催を実現させた。これは初の非白人国家だけによる国際会議であるとされる。30カ国が招待されていたが、中部アフリカの[[ローデシア]]は国内の情勢不安定のために参加できず、29カ国の参加で開催された。
 
なお、中華人民共和国と敵対関係にあった[[中華民国]]、さらに[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)、[[ソビエト連邦]]の[[衛星国]]である[[モンゴル人民共和国]](現[[モンゴル]])は招待されなかった。会議の前日には中華民国による周恩来の暗殺作戦とされる[[カシミールプリンセス号爆破事件]]が起きている
 
== バンドン会議における意義 ==
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* [[アジア・アフリカ法律諮問機関]]
* [[アジア欧州会合]]
* [[カシミールプリンセス号爆破事件]]
 
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