「趙無恤」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
オクヤマ (会話 | 投稿記録)
オクヤマ (会話 | 投稿記録)
25行目:
 
== 末裔 ==
『[[史記]]』「'''趙世家'''」によると、無恤は空同氏(一説では[[西戎|戎]]あるいは[[狄|翟]]の一派)の娘との間に5人の息子を儲けていた。しかし、無恤は兄の孫である趙浣(献侯)を後継者にするために後を継がせずに、息子たちに対して「お前たちは一族として、[[君主]]を支えよ」と諭したという。だが、これを不満に思った息子たちは、父の無恤の死後に従子の趙浣を放逐し、長兄の[[趙嘉]](趙桓子)<ref> 『世本八种』より。『史記』趙世家では、無恤の弟と記されている。</ref>を当主に立てて趙を治める。しかし、[[紀元前424年]]に趙桓子が没すると、無恤の遺志を踏みにじるこの不孝の行為を国人たちは亡き趙桓子の行為を非難し、桓子の太子とその叔父たち(趙桓子の弟)を処刑して再び趙浣を当主として迎え入れ、無恤の遺志を守った。
 
== 趙無恤を題材にした小説 ==