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|宗派=[[ゲルク派]]<br />([[プラーサンギカ|中観帰謬論証派]])
|寺院=ガンデン寺
|師=[[月称|チャンドラキールティ]]の所説
|弟子=[[ゲルツァプジェ・タルマリンチェン]][[ケードゥプジェ・ゲレクペルサンポ]]
|著作=『[[菩提道次第論]]』
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[[アティーシャ]]の『[[菩提道灯論]]』に範をとって主著『[[菩提道次第論]]』を著し、仏教のあらゆる教説は行者が凡夫から悟りへと至る修行の道程として統合されるとする「ラムリム」(修行の道程)の思想によってチベット仏教教学を大成した。また、『[[秘密道次第]]』を筆頭に密教的著作も数多く残している。
 
思想的には中観帰謬派([[プラーサンギカ]])の立場をとり、[[顕教]]においては特に[[月称|チャンドラキールティ]]の説を奉じた。また、それと呼応して[[密教]]教義の解釈にも[[中観派]]的な視点からの捉え直しを行い、なかでも[[性瑜伽]]などを[[観想]]上のものと規定することで、[[左道密教]]的な実践を廃し、修行者に持戒を求めたことは、綱紀の粛正の面で大きな役割を果たした。
 
[[1419年]]、自らが開いた[[ガンデン寺]]で死去。墓([[廟]]所)は同寺内にあり、チベット仏教の伝統により遺体はミイラ化されて保存されていたが、[[文化大革命]]に伴う寺の破壊に伴い遺体も散逸した。現在は再興した寺に再建された廟に、回収された遺骨の一部が納められている。