「アナトリア語派」の版間の差分

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'''アナトリア語派'''(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代[[小アジア]]([[アナトリア]]:現在の[[トルコ]])で話されていた[[インド・ヨーロッパ語族]]の言語群で、すべて[[死語 (言語学)|死語]]である。中でも[[ヒッタイト語]]の資料が多く最もよく研究されている。その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。
 
== 起源言語の特徴 ==
クレイグ・メルチャートによると、ほかのインド・ヨーロッパ語派の諸言語とくらべてアナトリア語派は以下のような固有の特徴を持つ<ref>Melchert (1994) pp.7-8</ref><ref>Melchert (1995) p.2158</ref>。
アナトリア語派は[[インド・ヨーロッパ祖語]](印欧祖語)から最も早期に分かれたとの説が有力で、一部では「インド・ヒッタイト語族」という言い方もされる。この時期については紀元前4千年紀半ばとする[[クルガン仮説]]があるが、さらに古いとする説(レンフリュー説、また[[語彙統計学]]による報告<ref>Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, Nature 2003, 426(6965):435-9.[http://www.nature.com/cgi-taf/DynaPage.taf?file=/nature/journal/v426/n6965/abs/nature02029_fs.html&dynoptions=doi1103763935]</ref>)もある。
* 一人称単数の代名詞が母音uを持つ(ヒッタイト語 ammug など)。おそらく二人称(tug)の影響。
* 指示代名詞「あれ」を意味する *obó- がある。
* 「与える」という意味の動詞が「取る」という意味の動詞から派生している。
* 命令法三人称に *-u が加えられる。
* {{仮リンク|分裂能格|en|Split ergativity}}を持つ。とくに古ヒッタイト語では[[能格]]が第9の格として存在する。
* [[接語]]が発達しており、最初のアクセントを持つ語の後ろに複数の接語を加えることができる。
* 最初の文以外は語頭または接語として接続語を使う必要がある。
 
音声的には、それまで理論的に予測されていただけだった[[インド・ヨーロッパ祖語]]の喉音の一部が残っている点が特筆される([[喉音理論]]を参照)。形態論の上でも、r/n の異語幹曲用(ヒッタイト語 ešḫar(属格 ešḫnas)「血」)のような非常に古い特徴が見られる<ref>高津(1954) p.166</ref>。
[[クルガン仮説]]によれば、初期のアナトリア語派話者が[[黒海]]の北からアナトリアに移住したルートには2つの可能性がある:東の[[カフカス山脈]]を越えた可能性、および西の[[バルカン半島]]を経た可能性である。マロリー<ref>J.P. Mallory, ''In Search of the Indo-Europeans'', Thames and Hudson Ltd., London (1989).</ref>とスタイナー<ref>G. Steiner, ''The immigration of the first Indo-Europeans into Anatolia reconsidered'', Journal of Indo-European Studies 18 (1990), 185–214.</ref>によればバルカン説の方がやや優勢である。彼らがアナトリアに入ったのは紀元前2千年頃、またはそれ以前といわれる。
 
その一方で、名詞の[[性 (文法)|性]]は生物と無生物(通性と中性)の区別しかなく、男性と女性の区別がない。これがほかの諸言語より古い形態なのか、アナトリア語派で対立が消滅したのかは意見が分かれる<ref>Luraghi (2015) p.191</ref>。[[双数]]も存在しない。
ただし[[コリン・レンフリュー]]により、印欧祖語の[[源郷]]をアナトリアとする説も提唱されている。この説をとれば移住を仮定する必要はない。その他[[アルメニア]]を源郷とする説をとれば、すぐ東から移動しただけということになる。
 
動詞の活用はほかの諸言語とかなり異なっている。[[ギリシア語]]や[[サンスクリット]]に見られる[[アオリスト]]や[[接続法]]、[[希求法]]などは存在せず、近代語に見られるような[[迂言法]]が発達している。
 
== アナトリア語派の諸言語 ==
[[File:Anatolian 03.png|thumb|[[紀元前1千年紀]]のアナトリア語派諸言語の分布]]
*[[ヒッタイト語]]:紀元前16世紀から紀元前13世紀の頃使われた[[ヒッタイト帝国]]の公用語。ヒッタイトの先住民が話していた[[ハッティ語]]は、まったくの別系統である。
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*[[リュディア語]]:アナトリア西部の[[リュディア]]に資料が残る。紀元前1世紀頃消えた。
 
== 消滅起源 ==
かつて一部の学者がとなえた「インド・ヒッタイト語」仮説(インド・ヒッタイト語からアナトリアとインド・ヨーロッパ祖語が分かれたという[[エドガー・ハワード・スターティヴァント|スターティヴァント]]らの説)現在では破棄されているが、アナトリア語派が[[インド・ヨーロッパ祖語]](印欧祖語)から最も早期に分かれたとの説が有力で、一部で考える学者「インド・ヒッタイト語族」という言今も少なくな方もされる<ref>Luraghi (2015) p.190</ref>この分裂時期については紀元前4千年紀半ばとする[[クルガン仮説]]があるが、さらに古いとする説(レンフリュー説、また[[語彙統計学]]による報告<ref>Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, Nature 2003, 426(6965):435-9.[http://www.nature.com/cgi-taf/DynaPage.taf?file=/nature/journal/v426/n6965/abs/nature02029_fs.html&dynoptions=doi1103763935]</ref>)もある。
アナトリアは紀元前4世紀の[[アレクサンドロス3世]](大王)による征服で[[ヘレニズム]]に席巻され、この地域の土着言語は紀元前1世紀までには消滅したと考えられる(ただし[[ピシディア語]]の資料は西暦紀元後のものである)。これによりアナトリア語派は知られている限り初めて消滅した印欧語族の語派となった(もう一つの消滅した語派である[[トカラ語派]]は8世紀頃まで続いた)。
 
[[クルガン仮説]]によれば、初期のアナトリア語派話者が[[黒海]]の北からアナトリアに移住したルートには2つの可能性がある:東の[[カフカス山脈]]を越えた可能性、および西の[[バルカン半島]]を経た可能性である。マロリー<ref>J.P. Mallory, ''In Search of the Indo-Europeans'', Thames and Hudson Ltd., London (1989).</ref>とスタイナー<ref>G. Steiner, ''The immigration of the first Indo-Europeans into Anatolia reconsidered'', Journal of Indo-European Studies 18 (1990), 185–214.</ref>によればバルカン説の方がやや優勢である。彼らがアナトリアに入ったのは紀元前2千年頃、またはそれ以前といわれる。
アナトリア語派に由来する単語は現在の[[トルコ語]]にもごくわずかに残っており、特に[[シデ]]や[[アダナ]]などの地名がある。このほか[[ギリシア]]の一部地名の形([[パルナッソス]]などの語尾-ssos)についてもこの語派に由来するとの考えがある。
 
ただし[[コリン・レンフリュー]]により、印欧祖語の[[源郷]]をアナトリアとする説も提唱されている。この説をとれば移住を仮定する必要はない。その他[[アルメニア]]を源郷とする説をとれば、すぐ東から移動しただけということになる。
== 言語の特徴 ==
ヒッタイト語は[[形態論]]的には他の古い印欧語より単純で、[[活用]]・[[格変化]]も[[語幹]]に[[接尾辞]]をつけるだけのものが多い。ヒッタイト語ではいくつかの印欧語の特徴が消え、他の系統では異なる特徴が発達したようである。
 
== 消滅 ==
一方ヒッタイト語には他の印欧語には消えた古風な点が多数ある。特に印欧語に特徴的な男性・女性・中性という[[名詞クラス|性]]はヒッタイト語にはなく、代わりに[[有生性|生物・無生物]]という原始的な[[名詞クラス]]があった。また他言語の比較から[[フェルディナン・ド・ソシュール]]により予言された古い[[喉音理論|喉音]]がヒッタイト語には実際にあった。
アナトリアは紀元前4世紀の[[アレクサンドロス3世]](大王)による征服で[[ヘレニズム]]に席巻され、この地域の土着言語は紀元前1世紀までには消滅したと考えられる(ただし[[ピシディア語]]の資料は西暦紀元後のものである)。これによりアナトリア語派は知られている限り初めて消滅した印欧語族の語派となった(もう一つの消滅した語派である[[トカラ語派]]は8世紀頃まで続いた)。
 
アナトリア語派に由来する単語は現在の[[トルコ語]]にもごくわずかに残っており、特に[[シデ]]や[[アダナ]]などの地名がある。このほか[[ギリシア]]の一部地名の形([[パルナッソス]]などの語尾-ssos)についてもこの語派に由来するとの考えがある。
[[エトルリア語]]やエーゲ海諸語も関係があるとする説がある。[[エトルリア人]]が小アジアから来たとする[[ヘロドトス]]の記述や人名の類似に基づくが、言語学的に同系とは認められない。
 
== 文献脚注 ==
{{reflist|2}}
<references/>
 
== 参考文献 ==
* {{cite book|author=Luraghi, Silvia|chapter=The Anatolian Languages|editor=Ramat, Anna Giacalone; Ramat, Paolo|title=The Indo-European Languages|year=2015|origyear=2008|publisher=Routledge|isbn=113492187X|pages=169-196}}
* {{cite book|author=Melchert, H. Craig|year=1995|chapter=Indo-European Languages of Anatolia|title=Civilizations of the Ancient Near East|volume=4|editor=Jack M. Sasson|publisher=Charles Scribner's Sons|isbn=0684197235|pages=2151-2159|chapterurl=http://www.linguistics.ucla.edu/people/Melchert/cane.pdf}}
* {{cite book|和書|author=[[高津春繁]]|title=印欧語比較文法|publisher=[[岩波全書]]|year=1954}}
 
{{印欧語族}}