「さいたまブロンコス」の版間の差分

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元母体は澤田司監督率いる[[マツダ]]オート東京(のちに[[1991年]]から[[マツダアンフィニ|アンフィニ]]東京に社名変更。現・[[関東マツダ]])のバスケットボール部。[[1982年]]に結成し、東京都を拠点に活動を続けた。ブロンコスの愛称は暴れ馬という意味で、創部2年目の[[1983年]]、[[サンタクララ大学]]のコーチだったランダから同大学チームのニックネームを寄贈されたことによる。
 
同年、群馬国体出場。翌[[1984年]]に[[全日本実業団バスケットボール選手権大会|全日本実業団]]で決勝まで進み、[[トヨタ自動車アルバルク東京|トヨタ自動車]]に敗れたものの準優勝で[[バスケットボール日本リーグ|旧・日本リーグ]]2部昇格を果たす。創部1年11ヶ月で日本リーグ2部昇格は日本協会における最速記録である<ref name=data>{{Cite web|url=http://www.saitamabroncos.com/teamdata.html|title=さいたまブロンコス-チームデータ|accessdate=2012-08-02}}</ref>。
 
[[1986年]]に2部昇格後2年9ヶ月という最速記録で1部昇格を決める<ref name=data/>。初昇格の[[1987年]]から1部に定着したが、最高成績は1987 - [[1988年]]度の6位で、下位争いがやっと。